妙光寺通信 ゲストの皆様へ (3−38)

「撰時抄の撰の一字」

 日蓮大聖人は建治元年六月十日に「撰時抄」という大部の御書を顕されていますが、表題の「撰」の一字には、重大な意義が存する事を知らねばなりません。
  日蓮大聖人は、冒頭に
 
 「夫仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし」(新編384)

と仰せになっていますが、日蓮正宗総本山第二十六世日寛上人は、「撰時抄愚記」に、「撰時」の「撰」の一字は教、機、時、国、教法流布の前後の五義に通ずる事を御指南されています。すなわち、爾前迹門の教説、権迹の教えを撰び捨て、法華本門の教えを撰び取る事を以って、教を知るという事が出来ると示されています。従来の念仏、真言、禅、律等の爾前権経の方便を撰び捨て、久遠元初の法華本門の大法を撰び取る事が出来てこそ、真実の教を知る事が出来るのです。
  第二の衆生の機根においても、権迹の機根、つまり釈尊の在世の本已有善の機根を撰び捨て、法華本門の直機を撰び取る事を以って、衆生の機根を知るという事が出来るのです。
  第三に時を知るとは、爾前権経の釈尊の在世や正像二千年の時を撰び捨て、法華本門の時を撰び取る事が大切なのです。つまり、末法は法華本門の大法を弘むべき時として、時を撰び取る事が必要です。
  第四に権迹の流布するインドや中国の国土を撰び捨てて、日本の法華本門の正義の流布する国を撰び取って、正義につく事を以って、国を知るという事になります。
  第五に教法流布の前後を知るとは、爾前権経の流布の次には、法華本門の大法の流布する次第に当たっている事を知る事が、教法流布の前後を知る事になります。
  このように、教、機、時、国、教法流布の前後という宗教の五箇による尺度で、正法正師の正義たる末法適時の三宝と主師親の三徳を知る事が、何よりも大切なのです。このことを以って、正しい宗教とは如何なる宗旨であるかという事を知る事が出来るのです。これはまさに、日蓮大聖人の開かれた日蓮正宗の教えに他なりません。
  さあ、日蓮大聖人の弟子檀那として、此の宗教の五箇に基づく正しい信仰に励みましょう。

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