妙光寺通信 法華講員の皆様へ (1−15)

「大善を持ち修する事の大切さ」

  世界の状勢がどんなに変化し、文明がどんなに発達し、どのような偉人が輩出しようとも、真実の宗教、真実の仏の根本の一切衆生救済の極理は唯一つしかありません。

  信仰の対象となる本尊、救済の教義、修行、功徳の働きの上から、最高、最善、最勝の教法は御本仏の一仏乗の悟りしかありません。
それが久遠元初の御本仏にして、また末法万年の仏と仰がれる日蓮大聖人の南無妙法蓮華経の大法なのであります。従って真に正しい信仰とは唯一絶対に正しい正法に帰依する事をもって、始めていえることなのです。

  その最勝、最善の教法を修することを「大善」と言い、それ以外のあらゆる宗旨、宗教を総称して「小善」と申します。

  今全世界の人々は宗教は「大善」でも「小善」でも同じであり、何宗、何教を信じても良いのだと考えていますが、それは大いなる誤りであります。信仰は常に「大善」でなければなりません。

  「小善」はかえって「大善」を見失い、「大善」の妨げとなるのです。日蓮大聖人は「下山御消息」に
「小善を持ちて大善を打ち奉り、権教を以て実教を失ふとがは、小善還って大悪となる。薬変じて毒となる。親族還って怨敵と成る が如し。難治の次第なり。」(御書一一三八)と仰せられ、「治部房御返事」には「一切の神を敬ひ、一切の仏を御供養候へども其の功徳還って大悪 となり、やいとの還って悪瘡となるが如く、薬の還って毒となる が如し。」(御書一五六八)と教えて下さっています。

  正しい真実の宗教とは、最大最勝の「大善」の教法を信仰する事であるという大原則を踏みはずしてはならないのです。

戻る