妙光寺通信 法華講員の皆様へ (1−21)

「臨終の妙相」

 去る四月の始めと終わりに一人の壮年の死と九十一歳と七十四歳の老婦人の告別式にかかわりました。
  六十五歳の壮年は腎臓透析三十年という記録保持者であり、透析をしつつ、社会人として財団の理事長を勤め、腹膜透析の後遺症である腸閉塞で入院される迄、仕事にも従事していました。
  透析患者の代表として、北里大学病院の先生や医療にたずさわる人々へ患者側の願いや数多の提言等を講演されるなど、透析関係者の間では名の知れた人でありました。
  しかしさすがの彼も、何回かの蘇生を繰り返して、とうとう寿命も尽きて、最後の時を大学病院で迎える事となりましたが、彼の臨終の威厳に満ちたふくよかな静かな顔は、九ヶ月の断食と断水の苦しみを耐え抜かれた人とは思えない凛然とした寝顔でありました。
  また、二人目と三人目の老婦人の臨終の顔はあまりにも美しい、整った顔で、少しも老いを感じさせない清楚な御顔であった。
  日蓮大聖人が千日尼御前御返事に
  「臨終(りんじゅう)に色変(いろへん)じて白色(はくしき)となる。又軽(またかる)き事鵞毛(こと が もう)の如(ごと)し、軟(やわ)らかなる  事兜羅綿(こと と ろ めん)の如(ごと)し。」           (御書一二九〇)
と仰せの如き、大聖人の御信徒の不思議な臨終の尊き妙相でありました。
  日本の代表的な文学者でキリスト教徒に関する小説で有名な遠藤周作氏はエッセイの中で、自分は仏教徒のような良き臨終を迎える自信がない。多分作家の威厳をそこなうような臨終を迎えて、わめきながら悶え苦しむであろうから、十字架に縛られ、苦しみの中にあって死んでいった教祖を持っていれば言い訳が出来るからキリスト教徒になったと告白しています。
  本宗信徒になれば言い訳など考えなくても、ごく自然に尊い臨終を迎え、一人一人仏の境涯に安住する事が出来るのです。御安心下さい。

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