妙光寺通信 法華講員の皆様へ (1−24)

「六根清浄」

 六根清浄とは人間の眼・耳・鼻・舌・身・意の六根に具有する煩悩の汚れを払い落とし清浄な仏身へと転換する事を言います。
  法華経の法師功徳品の中に
   是(こ)の法華経( ほ け きょう)を受持(じゅ じ)し、五種( ごしゅ)の妙行(みょうぎょう)を修(しゅう)する者(もの)は、是(こ)の功徳( くどく)を以(もっ)て、六根(ろっこん)を荘厳(しょうごん)して、皆清浄(みなしょうじょう)ならしめん(開結四七四)と説かれています。
  日蓮大聖人は末法の今日の人々の六根清浄の功徳について
   今日蓮等(いまにちれんとう)の類(たぐい)南無妙法蓮華経( な んみょうほうれん げ きょう)と唱(とな)へ奉(たてまつ)る者(もの)は六根清浄(ろっこんしょうじょう)なり。されば妙法蓮華経(みょうほうれん げ きょう)の法(ほう)の師(し)と成(な)りて大(おお)きなる徳(さいわい)有(あ)るなり。功(く)も幸(さいわい)と云(い)ふ事(こと)なり。(御義口伝一七七五)と六根清浄の功徳について御教示下さっています。
  大御本尊を信じて本門の題目を唱え切って行くならば自然に一切の人々の六根が清らかとなり、清らかな六根はそのまま即身成仏の姿であります。
  大聖人はさらに「観心本尊抄」に涅槃経の文をひかれ、
   大乗(だいじょう)を学(がく)する者(もの)は肉眼有(にくげん あ )りと雖(いえど)も名(な)づけて仏眼(ぶつげん)と為(な)す末代(まつだい)の凡(ぼん)夫出生(ぶしゅっしょう)して法華経( ほ け きょう)を信(しん)ずるは人界(にんかい)に仏界(ぶっかい)を具足( ぐ そく)する故(ゆえ)なり。
(御書六四七)と仰せ遊ばされています。
  中国の天台大師も
   若(も)し衆生(しゅじょう)に仏(ほとけ)の知見無( ち けん な )くんば何(なん)ぞ開(かい)を論(ろん)ずる所有(ところ あ )らん。当(まさ)に知(し)るべし、仏(ほとけ)の知見衆生(ちけんしゅじょう)に蘊在(うんざい)することを(御書六五一)と申しております。
  いま私達一人ひとりが御本尊を信じて、題目を唱え、六根を清浄にし、人間の改革が出来るのは、私達一人ひとりの生命に仏の知見が生まれながらに具備し、同時に仏眼・仏耳・仏鼻・仏舌・仏身・仏意が備わっており、南無妙法蓮華経の仏力・法力によって開き顕された結果によるのです。
  何と有難い生命の転換ではありませんか。
  互いに正しい信仰のもとで唱題に励みましょう。

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