妙光寺通信 法華講員の皆様へ (1−26)

「謗法不信者の失うもの」

  法華経の開経である無量義経の「十功徳品第三」に、釈尊は信仰心のない不信者の失うものとして、其(そ)れ衆生有(しゅじょう あ)って、聞(き)くことを得(え)ざる者(もの)は、當(まさ)に知(し)るべし。是等(これら)は為(こ)れ大利(だいり)を失(うしな)えるなり。無量無辺(む りょうむへん)不可思議( ふかしぎ)阿僧祇劫( あそうぎこう)を過(す)ぐれども、終(つい)に無上菩提(むじょうぼだい)を成(じょう)ずることを得(え)ず。所以(ゆえ)は何(いか)ん。菩提(ぼだい)の大直道(だいじきどう)を知(し)らざるが故(ゆえ)に、険(けんきょう)を行(ゆ)くに、留難多(るなんおお)きが故(ゆえ)に(開結三二)と説かれています。
  信仰のない人はまさに仏の大慈悲にもとずく一切の救済や功徳の全てを含む大利益を失う人と言うべきであり、永久に成仏得道をなす事が出来ず、常に苦しみ、辛苦のともなう難行の道を行く人だと教えられています。また涅槃経では不信心の者は、主無(しゅな)く、親無(しんな)く、救無( くな)く、護無(ごな)く、趣無(しゅ な )き貧窮飢困(びんぐけこん)なりと説かれています。
  つまり仏法上の仏の教導を知らず、父母の養育を知らず、仏の救済もなく、守護も無く、真に目指す所も無く、真の主師親を知らず、六道にさまよう人であり、本当に心の頼るべきより所のない人というべきであります。正しい信仰者には日蓮大聖人が『御講聞書』に示された、此(こ)の題目(だいもく)の五字(ごじ)、我等衆生(われらしゅじょう)の為(ため)には三途(さん ず )の河(かわ)にては船(ふね)となり、紅蓮地獄( ぐれんじごく)にては寒(かん)をのぞき、焦熱地獄(しょうねつじごく)にては涼風(りょうふう)となり、死出(しで)の山(やま)にては蓮華(れんげ)となり、渇(かっ)せる時(とき)は水(みず)となり、飢(う)えたる時(とき)は食(じき)となり、裸(はだか)なる時(とき)は衣(ころも)となり、妻(つま)となり子(こ)となり眷属(けんぞく)となり家(いえ)となり、無窮(むきゅう)の応用(おうよう)を施(ほどこ)して一切衆生(いっさいしゅじょう)を利益( り やく)し給(たま)ふなり。(御書一八三五)等々の無限の功徳を賜わるのであります。
  さあ日蓮大聖人の主師親三徳にもとずく正しい信仰を実践して、無量の功徳を授かりましょう。

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