妙光寺通信 法華講員の皆様へ (1−34)

「退転の恐ろしさを知れ」

 日蓮正宗の信仰に入りながら、まだ大御本尊の功徳や正しい信仰の尊さを知る前に、日々の勤行の実践が出来ず、いつしか情熱を失い、また遠ざかり、やがて御本尊をお返しして退転して行く人があります。
  あるいは功徳だけを異常な程に欲しながら、信心に疑問を起こし、先輩のアドバイスに怨嫉して、退転して行く人もあります。
  日蓮大聖人はそうした人々に対して「開目抄」に、
   諸(もろもろ)の声聞(しょうもん)、法華(ほっけ)をはなれさせ給(たま)ひなば、魚(うお)の水(みず)をはなれ、猿(さる)の木(き)をはなれ、小児(しょうじ)の乳(ちち)をはなれ、民(たみ)の王(おう)をはなれたるがごとし(御書534)
   善(ぜん)に付(つ)け悪(あく)につけ法華経(ほけきょう)をすつるは地獄(じごく)の業(ごう)なるべし(御書572)
と禁められています。また「兄弟抄」にも、
   現世(げんぜ)の軽苦忍(きょうくしの)びがたくて、慈父(じふ)のせめに随(したが)ひて存(ぞん)の外(ほか)に法華経(ほけきょう)をすつるよしあるならば、我(わ)が身(み)地獄(じごく)に堕(お)つるのみならず、悲母(ひも)も慈父(じふ)も大阿鼻(だいあび)地獄(じごく)に墮(お)ちてともにかなしまん事疑(ことうたが)ひなかるべし(御書981)
と御教示遊ばされているが如く、我が身と父母と一家もろともに謗法の報いを受けなければなりません。
  謗法の報いは上七代、下七代とも言われます。「退転」は絶対にあってはなりません。

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