伊東御配流


   松葉ケ谷法難の後、下総・富木常忍のもとに身を寄せられていた大聖人は、弘長元年(1261年)鎌倉へ戻られ、辻々で法華経正意の説法をされていた。このことを知った幕府は、松葉ケ谷の襲撃の失敗を挽回せんが為に何ら取り調べもせず、大聖人を伊豆の伊東に配流してしまったのである。

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