少年少女版(しょうねんしょうじょばん) 日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん) 「御一生記(ごいっしょうき)

(たつ)(くち)法難(ほうなん)(1271(ねん)/50(さい)/文永八年(ぶんえいはちねん)

(くび)()(1271(ねん)/50(さい)/文永八年(ぶんえいはちねん)


 抹殺(まっさつ)することのできなかった大聖人様(だいしょうにんさま)を、ひとまず評定所(ひょうていしょ)()()(なん)()調(しら)べも()いまま、(ほう)無視(むし)した裁断(さいだん)により佐渡(さど)への流罪(るざい)()めていました。しかしそれは表向(おもてむ)きであり(たつ)(くち)処刑場(しょけいじょう)(くび)をはねることが()まっていたのです。
  処刑場(しょけいじょう)()途中(とちゅう)八幡宮(はちまんぐう)(まえ)()()まり大聖人様(だいしょうにんさま)は『八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)はまことの(かみ)か・・・いま日蓮(にちらん)日本一(にほんいち)法華経(ほけきょう)行者(ぎょうじゃ)である。いちぶんの(あやま)()(くび)をはねられようとしている。釈尊(しゃくそん)との約束(やくそく)(わす)れたか。もしも(こころ)があれば(いそ)いで(たす)けに(まい)られよ』と大声(おおごえ)八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)()びかけられしったされたのでした。
  そして処刑場(しょけいじょう)(すす)途中(とちゅう)四条金吾(しじょうきんご)()まいがあり事件(じけん)のことを()らせるよう使者(ししゃ)使(つか)わせました。()らせを()(いそ)いで()けつけた金吾(きんご)大聖人様(だいしょうにんさま)一緒(いっしょ)()のうと覚悟(かくご)()めていました。
  しかし大聖人様(だいしょうにんさま)(うま)手綱(たずな)(つか)まって()きじゃくる金吾(きんご)をみて『法華経(ほけきょう)(ため)(いのち)()てることを(よろこ)べ。(いま)こそ約束(やくそく)をはたすときだ』と大確信(だいかくしん)(おし)え、四条金吾(しじょうきんご)純真(じゅんしん)信心(しんじん)心強(こころずよ)(いと)おしくも(おも)っていました。そして生涯(しょうがい)四条金吾(しじょうきんご)信心(しんじん)忠誠心(ちゅうせいしん)()(たた)えていったのでした。

  十月(じゅうがつ)十二日(じゅうににち)鎌倉(かまくら)江ノ島(えのしま)にある(たつ)(くち)処刑場(しょけいじょう)についたのは夜半(やはん)()ぎているころでした。日蓮大聖人様(にちれんだいしょうにんさま)(くび)()悠然(ゆうぜん)(すわ)られ(しず)かにお題目(だいもく)(とな)えていました。
  兵士(へいし)たちは大聖人様(だいしょうにんさま)(まわ)りを(きび)しい(かお)でいかくしながら(かこ)んでいました。その(なか)一人(ひとり)兵士(へいし)(かたな)()き、大聖人様(だいしょうにんさま)(くび)()がけてはねようと(かたな)()りかざした瞬間(しゅんかん)江ノ島(えのしま)彼方(かなた)から突然(とつぜん)(つき)のような(ひかり)(もの)が、あたり一面(いちめん)()らし(おと)()てながら()んできました。
  大聖人様(だいしょうにんさま)(くび)()(はな)そうとした太刀(たち)とりの兵士(へいし)は、強烈(きょうれつ)(ひかり)()がくらみ恐怖(きょうふ)のあまり退(しりぞ)き、兵士(へいし)たちは(おそ)れおののきながら(かたな)()てて()げまどってしまいました。そして大聖人様(だいしょうにんさま)()げまどう兵士(へいし)たちに()かって『(だれ)(はや)(くび)()ねよ、(よる)(あけ)けると見苦(みぐる)しいぞ・・・!』と大声(おおごえ)(さけ)びましたが何事(なにごと)()こったのか(わか)らない兵士(へいし)たちは、あまりの恐怖(きょうふ)突然(とつぜん)出来事(できごと)動転(どうてん)して、(だれ)ひとりよって()(もの)はありませんでした。

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