少年少女版(しょうねんしょうじょばん) 日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん) 「御一生記(ごいっしょうき)

佐渡流罪(さどるざい)(1271(ねん)/50(さい)/文永八年(ぶんえいはちねん)

極寒(ごっかん)塚原三枚堂(つかはらさんまいどう)での()らし(1271(ねん)/50(さい)文永八年(ぶんえいはちねん)

阿仏房(あぶつぼう)千日尼(せんにちあま)との出会(であ)い(1271(ねん)/50(さい)文永八年(ぶんえいはちねん)



 大聖人様(だいしょうにんさま)(たつ)(くち)処刑場(しょけいじょう)(ころ)せなかった平左衛門尉頼綱(へいのさえもんのじょうよりつな)たちは仕方(しかた)がなく、いったん依智(えちの)にある本間六郎左衛門(ほんまろくろうざえもん)(やかた)(おく)り、評定所(ひょうていじょ)裁断(さいだん)()つことにしました。そこで大聖人様(だいしょうにんさま)(よる)()ないで任務(にんむ)()たっていた兵士(へいし)たちの(ろう)気遣(きずか)い、お(さけ)()()兵士(へいし)たちに()るまい心労(しんろう)をいやされました。『大聖人様(だいしょうにんさま)(ころ)そうとしていた(わたし)たちに、ここまでの心遣(こころずか)いをしてくれる』そんな日蓮御房(にちれんごぼう)()るまいに(こころ)をうたれて何人(なんにん)もの兵士(へいし)たちが大聖人様(だいしょうにんさま)()()わせ、念仏(ねんぶつ)()てて法華経(ほけきょう)帰依(きえ)して()きました。
  しかし鎌倉(かまくら)では並外(なみはず)れた不思議(ふしぎ)(ちから)があることを(おも)()らされ、大聖人様(だいしょうにんさま)(こわ)くなり()べる(もの)もなく極寒(ごっかん)(きび)しい(さむ)さの(なか)二度(にど)(ふたた)()きて(もど)ることができないと()われていた佐渡(さど)(しま)犯罪人(はんざいにん)として流罪(るざい)することを()めてしまったのです。

  佐渡(さど)(おさ)めていた本間六郎左衛門(ほんまろくろうざえもん)(やかた)裏手(うらて)墓地(ぼち)(なか)にある()んだ(ひと)たちを(とむら)うために()てられた一間四方(いっけんしほう)()()てた三枚堂(さんまいどう)大聖人様(だいしょうにんさま)()まいとしてあたえました。しかしいたるところの(かべ)ははげ()ち、(あめ)(ゆき)()()(かぜ)()(さむ)さが()()るようでした。そして()べる(もの)()くお(とも)()いて()弟子(でし)たちのことを心配(しんぱい)され、日興上人(にっこうしょうにん)だけを(のこ)されあとの弟子(でし)たちは本国(ほんごく)(かえ)されました。それから本当(ほんとう)(くる)しい生活(せいかつ)(はじ)まったのです。それでも日興上人(にっこうしょうにん)(わが)()()てたお給仕(きゅうじ)(なか)でおおくの大切(たいせつ)御書(ごしょ)(あらわ)してゆかれました。

 佐渡(さど)にも熱心(ねっしん)念仏宗(ねんぶつしゅう)信者(しんじゃ)(おお)くいました。ひときわ熱心(ねっしん)阿仏房(あぶつぼう)千日尼(せんにちあま)という老夫婦(ろうふうふ)がいました。佐渡(さど)(ひと)たちからも人望(じんぼう)があつく、文武二道(ぶんぶにどう)(すぐ)れていました。大聖人様(だいしょうにんさま)本当(ほんとう)(こころ)(わか)らない(ひと)たちが、『鎌倉幕府(かまくらばくふ)にたてつき、念仏宗(ねんぶつしゅう)誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)する大罪人(だいざいにん)だ』としか()らされていない(ひと)たちは、いつか機会(きかい)()(ころ)してしまおうと(ねら)っていました。
  阿仏房(あぶつぼう)もその(なか)一人(ひとり)でした。しかし大聖人様(だいしょうにんさま)のお姿(すがた)をみて罪人(ざいにん)には(おも)えず『どうして念仏(ねんぶつ)無間地獄(むげんじごく)()ちるのだ・・・』と質問(しつもん)をしました。その(こたえ)えを理路整然(りろせいぜん)とした態度(たいど)(はなし)をしてくれる大聖人様(だいしょうにんさま)慈悲(じひ)(ふか)さに(こころ)(うご)かされ夫婦(ふうふ)そろって大聖人様(だいしょうにんさま)のお弟子(でし)になりました。そして(たべ)(もの)調達(ちょうたつ)から手紙(てがみ)()くための(かみ)(ふで)なども(まず)しい生活(せいかつ)(なか)夫婦(ふうふ)そろって一心(いっしん)にご供養(くよう)をされました。大聖人様(だいしょうにんさま)(こま)やかな指導(しどう)慈悲心(じひしん)()れて、(のこ)りの生涯(しょうがい)夫婦(ふうふ)そろってご奉公(ほうこう)しようと(ちか)いました。
  そして大聖人様(だいしょうにんさま)身延(みのぶ)(はい)られてからも、大聖人様(だいしょうにんさま)(した)高齢(こうれい)にもかかわらず、ご供養(くよう)をたずさえて三度(さんど)にのぼり身延(みのぶ)(やま)まで、登山(とざん)をされたことを大聖人様(だいしょうにんさま)本当(ほんとう)(よろこ)ばれました。

[←(まえ)]      [一覧(いちらん)]      [(つづく)→]