少年少女版(しょうねんしょうじょばん) 日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん) 「御一生記(ごいっしょうき)

御赦免(ごしゃめん)鎌倉(かまくら)へ(1274(ねん)/53(さい)/文永十一年(ぶんえいじゅういちねん)


 「塚原問答(つかはらもんどう)」のとき領主(りょうしゅ)本間重連(ほんましげつら)に「鎌倉(かまくら)(あらそ)いが()こるから()をつけなさい」と大聖人様(だいしょうにんさま)予言(よげん)をしていました。その言葉(ことば)どおり執権(しっけん)北条時宗(ほうじょうときむね)(あに)北条時輔(ほうじょうときすけ)(おとうと)権力(けんりょく)(ねた)んで転覆(てんぷく)をはかりました。それを()った時宗(ときむね)(さき)()(まわ)して成敗(せいばい)してしまったのです。これを(ぞく)()う「二月騒動(にがつそうどう)」と()い、一族(いちぞく)による同士討(どうしう)ちのもっとも(おお)きな事件(じけん)として、のちのちまで()()げられていくのでした。
 ことごとく大聖人様(だいしょうにんさま)予言(よげん)的中(てきちゅう)するので(こわ)くなった鎌倉幕府(かまくらばくふ)要人(ようじん)たちは「(たつ)(くち)法難(ほうなん)」で()らえた弟子(でし)たちを釈放(しゃくほう)し、大聖人様(だいしょうにんさま)極寒(ごっかん)佐渡(さど)二年半(にねんはん)歳月(さいげつ)()ごしましたが、(つい)幕府(ばくふ)無罪放免(むざいほうめん)にしたのでした。
 大聖人様五十三歳(だいしょうにんさまごじゅうさんさい)(とき)でした。

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