少年少女版(しょうねんしょうじょばん) 日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん) 「御一生記(ごいっしょうき)

(ふたた)国家諌暁(こっかかんぎょう)(1271(ねん)/50(さい)/文永八年(ぶんえいはちねん)


 鎌倉(かまくら)にもどった大聖人様(だいしょうにんさま)幕府(ばくふ)評定所(ひょうじょうしょ)()ばれて()きました。そこで平左衛門尉頼綱(へいのさえもんのじょうよりつな)にあいました。(たつ)(くち)(とき)とは(ちが)い、おだやかに大聖人様(だいしょうにんさま)(はなし)をされました。「蒙古(もうこ)襲来(しゅうらい)がいつ()こるのか・・・」そしてこの問題(もんだい)解決(かいけつ)するために「他宗(たしゅう)僧侶(そうりょ)たちと一緒(いっしょ)祈祷(きとう)をしてほしい・・・幕府(ばくふ)(ちから)()してくれればお(てら)建立(こんりゅう)してあげる」と()われました。しかし大聖人様(だいしょうにんさま)は「謗法(ほうぼう)(もの)からの供養(くよう)()けない」と(はな)し「もしも蒙古(もうこ)問題(もんだい)解決(かいけつ)したいのなら謗法(ほうぼう)()てて法華経(ほけきょう)(おし)えを信仰(しんこう)するいがいにない」と()って、他宗(たしゅう)(おし)えを()てることだと(きび)しく三度目(さんどめ)の「国家諌暁(こっかかんぎょう)」をしました。
 しかし幕府(ばくふ)他宗(たしゅう)僧侶(そうりょ)たちとのなれあいを()ることが出来(でき)ず、誰一人(だれひとり)として大聖人様(だいしょうにんさま)忠告(ちゅうこく)()()れる(もの)はいませんでした。そこで大聖人様(だいしょうにんさま)は「三度諫(さんどいさ)めて(くに)()る」と()われて身延山(みのぶさん)(うつ)将來(しょうらい)のために弟子(でし)たちの教育(きょういく)専念(せんねん)することを()めました。大聖人様(だいしょうにんさま)鎌倉(かまくら)(はな)れて五ヶ月(ごかげつ)()ぎた(ころ)蒙古(もうこ)兵隊(へいたい)壱岐対馬(いきつしま)占領(せんりょう)し、悲惨(ひさん)にもほとんどの(しま)(ひと)たちが(ころ)されました。これを「文永(ぶんえい)(えき)」と()います。
 そしてその(あと)すぐに九州(きゅうしゅう)沖合(おきあい)暴風雨(ぼうふうう)()()まれた蒙古(もうこ)兵士(へいし)たちも、(ふね)一緒(いっしょ)(うみ)(そこ)(しず)んでいきました。

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