少年少女版(しょうねんしょうじょばん) 日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん) 「御一生記(ごいっしょうき)

日目上人(にちもくしょうにん)常随給仕(じょうずいきゅうじ)(1276(ねん)/55(さい)/建治二年(けんじにねん)


 日蓮大聖人様(だいしょうにんさま)身延(みのぶ)()で「広宣流布(こうせんるふ)(いしずえ)(きず)こう」と弟子(でし)たちの教育(きょういく)()(くだ)かれていました。「一信(いっしん)二行(にぎょう)三学(さんがく)(ひと)つに「(しん)じる(こころ)」、(ふた)つに「信心(しんじん)修行(しゅぎょう)」、(みっ)つに「教学(きょうがく)(まな)ぶこと」が信心(しんじん)(まな)ぶ上(うえ)一番大切(いちばんたいせつ)姿勢(しせい)だと(おし)えました。
  大聖人様(だいしょうにんさま)五十三歳(ごじゅうさんさい)(とき)日興上人(にっこうしょうにん)によって日目上人(にちもくしょうにん)得度(とくどう)しました。その後身延(ごみのぶ)(のぼ)大聖人様(だいしょうにんさま)()(まわ)りのお世話(せわ)(はじ)めました。しかし雪深(ゆきぶか)山奥(やまおく)なので食料(しょくりょう)調達(ちょうたつ)()かりを(とも)(あぶら)(かみ)などを()()れることは、とても大変(たいへん)でした。それ以上(いじょう)毎日何度(まいにちなんど)身延(みのぶ)谷間(たにま)(さわ)まで()りて()って(みず)()むことでした。水桶(みずおけ)(あたま)にのせて(はこ)(つづ)け、日目上人(にちもくしょうにん)(あたま)(たい)らになってしまうほど大変(たいへん)仕事(しごと)だったのです。しかし何一(なにひと)文句(もんく)()わず、師匠(ししょう)につききりお給仕(きゅうじ)をしながら(きび)しい信心修行(しんじんしゅぎょう)にも教学(きょうがく)勉強(べんきょう)にも一生懸命頑張(いっしょうけんめいがんば)っていました。そんなけなげな姿(すがた)大聖人様(だいしょうにんさま)(こころ)から(よろこ)んでいました。

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