少年少女版(しょうねんしょうじょばん) 日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん) 「御一生記(ごいっしょうき)

熱原(あつはら)三名(さんめい)処刑(しょけい)される(1279(ねん)/58(さい)/弘安二年(こうあんにねん)


 純真(じゅんしん)信心(しんじん)をしていた熱原(あつはら)神四郎(じんしろう)弥五郎(やごろう)弥六郎(やろくろう)兄弟(きょうだい)(おど)かして、信心(しんじん)をやめさせれば簡単(かんたん)(ほか)(もの)たちもやめて自分(じぶん)のところに(もど)ってくるだろうと(かんが)えていた行智(ぎょうち)大聖人様(だいしょうにんさま)(たい)して(うら)(つづ)けていた平左衛門尉(へいのさえもんのじょう)とが、この機会(きかい)仕返(しかえ)しをしようとたくらみ()ぐさま鎌倉(かまくら)(やかた)連行(れんこう)してしまいました。そして(こめ)泥棒(どろぼう)したと(うそ)(うった)えを(なか)(わる)かった神四郎(じんしろう)たちの(あに)弥籐次(やとうじ)使(つか)っておこさせたのです。しかし()調(しら)べとは()ばかりで「日蓮坊(にちれんぼう)信心(しんじん)をやめろ!やめればみんなも(たす)けてやる」と()(はな)って(おど)かしたのです。だが三人(さんにん)は「大聖人様(だいしょうにんさま)信心(しんじん)はやめない!」と()(はな)ち、お題目(だいもく)()げつづけました。
 その態度(たいど)一層腹(いっそうはら)()てた平左衛門尉(へいのさえもんのじょう)神四郎(じんしろう)弥五郎(やごろう)弥六郎(やろくろう)(くび)次々(つぎつぎ)とはねてしまいました。しかしそれでもお題目(だいもく)(とな)えてやまない農民(のうみん)たちの姿(すがた)(おそ)れをなして(ほか)(もの)たちを釈放(しゃくほう)しました。
  三人(さんにん)斬首(ざんしゅ)されたことを()かれた大聖人様(だいしょうにんさま)弟子(でし)たちを(あつ)め「熱原(あつはら)三烈士(さんれつし)」の供養(くよう)をされました。そして「三烈士(さんれつし)」が無残(むざん)(ころ)された()から十四年(じゅうよねん)()謀反(むほん)のとがで平左衛門尉(へいのさえもんのじょう)一族(いちぞく)すべてが断罪(だんざい)され(ほろ)びました。

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