少年少女版 日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん) 「御一生記」(ごいっしょうき)

日興上人(にっこうしょうにん)本宗大導師(ほんしゅうだいどうし)就任(しゅうにん) (1282(ねん)/聖滅(せいめつ)/弘安五年(こうあんごねん))


 大聖人様(だいしょうにんさま)()くなられてから身延(みのぶ)(やま)()()えたようで、ゆううつな空気(くうき)(ただよ)っていました。しかし久遠寺(くおんじ)別当(べっとう)となられた日興上人(にっこうしょうにん)(かな)しみに()れている(ひま)もなく大聖人様(だいしょうにんさま)御遺言(ごゆいごん)(とお)広宣流布(こうせんるふ)()かい一門(いちもん)発展(はってん)のためにご苦心(くしん)されていました。
  そして異体同心(いたいどうしん)信心(しんじん)(しめ)され大聖人様(だいしょうにんさま)御遺言(ごゆいごん)本弟子六老僧(ほんでしろくろうそう)たちに、お(はか)交代(こうたい)(まも)るように()われましたが、日興上人以外(にっこうしょうにんいがい)五人(ごにん)老僧(ろうそう)たちは一向(いっこう)身延(みのぶ)(やま)には(のぼ)っても()ませんでした。
  しかし日興上人(にっこうしょうにん)とお弟子(でし)たちだけで大聖人様(だいしょうにんさま)のお(はか)をお(まも)りしていました。
  五人(ごにん)老僧(ろうそう)たちは大聖人様(だいしょうにんさま)のお手紙(てがみ)が、かな文字(もじ)()いてあることから内心(ないしん)では軽蔑(けいべつ)していました。(ふか)教義(きょうぎ)にも()()かず「天台沙門(てんだいしゃもん)」と名乗(なの)りを()げ、大聖人様(だいしょうにんさま)弟子(でし)とは()ばかりでした。そして大聖人様(だいしょうにんさま)から(おく)られたお手紙(てがみ)()てたり()いたりしていることに日興上人(にっこうしょうにん)はとても(かな)しまれました。
  「未来(みらい)(ひと)たちのために大聖人様(だいしょうにんさま)のさまざまな(とき)御指導(ごしどう)御指南(ごしなん)(のこ)さなくてはいけない」と全国(ぜんこく)弟子(でし)たちや信徒(しんと)のもとに()らばっているお手紙(てがみ)弟子信徒(でししんと)たちの協力(きょうりょく)によって(あつ)めることを決意(けつい)されました。そしてその重宝(じゅうほう)現在(げんざい)総本山大石寺(そうほんざんたいせきじ)にあり、代々(だいだい)御法主上人猊下様(ごほっすしょうにんげいかさま)連綿(れんめん)()()がれ日興上人(にっこうしょうにん)大聖人様(だいしょうにんさま)のお手紙(てがみ)を「御書(ごしょ)」として(さだ)められました。

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