少年少女版 日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん) 「御一生記」(ごいっしょうき)

身延離山(みのぶりざん)(1289(ねん)/聖滅(せいめつ)8(さい)/正応二年(しょうおうにねん)


 日蓮大聖人様(にちれんだいしょうにんさま)三回忌(さんかいき)法要(ほうよう)がありましたが、あいかわらず五老僧(ごろうそう)たちは()ませんでした。しかし大聖人様(だいしょうにんさま)御遺志(ごいし)日興上人(にっこうしょうにん)()がれ(こころ)ある信徒(しんと)方々(かたがた)日興上人(にっこうしょうにん)のお弟子(でし)たちが(つど)い、日興上人(にっこうしょうにん)大導師(だいどうし)のもと厳粛(げんしゅく)におこなわれました。
  その後幾度(ごいくど)とない日興上人(にっこうしょうにん)説得(せっとく)により、ようやく民部(みんぶ)日向(にこう)身延山(みのぶさん)(のぼ)って()ました。それを(よろこ)ばれた日興上人(にっこうしょうにん)学頭職(がくとうしょく)をまかせました。しかし厳格(げんかく)日興上人(にっこうしょうにん)(たい)して、しだいに反感(はんかん)(いだ)日向(にこう)地頭波木井実長(じとうはぎいさねなが)毎晩酒(まいばんさけ)()()わしうっぷんを()らすように贅沢三昧(ぜいたくざんまい)(はじ)めました。そして大聖人様(だいしょうにんさま)(おし)えに(そむ)き、実長(さねなが)日向(にこう)日興上人(にっこうしょうにん)注意(ちゅうい)指導(しどう)()かず謗法(ほうぼう)(かぎ)りをつくすようになってしまいました。
  波木井実長(はぎいさねなが)地頭(じとう)立場(たちば)利用(りよう)して日興上人(にっこうしょうにん)にも謗法(ほうぼう)強要(きょうよう)するようになってしまいました。大聖人様(だいしょうにんさま)(おも)()()まった身延(みのぶ)でしたが「謗法(ほうぼう)(やま)には()めない」と()って大聖人様(だいしょうにんさま)(のこ)された大御本尊様(だいしょうにんさま)重宝(じゅうほう)背負(せお)って身延(みのぶ)(はな)れる決心(けっしん)をしました。
  そして大聖人様(だいしょうにんさま)()くなられてから八年(はちねん)歳月(さいげつ)()ごした(おも)()地身延(ちみのぶ)()てて大石(おおいし)(はら)地頭南条時光殿(じとうなんじょうときみつどの)をたよって(あら)たな出発(しゅっぱつ)決意(けつい)されたのでした。

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