平成20年 2月17日()  午後 1:00

本堂に於いて、尾林住職の導師のもと、宗祖日蓮大聖人御誕生会が奉修されました。


 大聖人は貞応元年(1222年)二月一六日に、三国の太夫を父とし、梅菊女を母として、安房の国(千葉県)長狭郡東条郷小湊の漁村に御誕生遊ばされ、幼名を善日麿と称されました。
  大聖人はこの御自身の出生を佐渡御勘気抄に
「日蓮は日本国、東夷、東条、安房の国、海辺の旃陀羅が子なり」(新編482頁)と申され、また、「海女が子」「石中(いそなか)の賎民が子」「民の家より出でて頭(こうべ)をそり袈裟をきたり」と仰せになっています。
  この事は如何なる意味を持つかと申しますと、末法下種の御本仏は示同凡夫、一介の人間として御出現になり、その先達として全生命を賭して末法濁悪の一切の民衆を救済化導される為にほかなりません。
  釈尊の仏法は正像二千年を過ぎて「闘諍言訟・白法隠没」の末法に入り釈尊の予証通り、その救済の力を失い、世相は乱れ、まさに悪世法滅の相をあらわし始めました。
  この時に当たって法華経に於ける「後五百歳中広宣流布」の金言通り、日蓮大聖人が末法尽未来際の一切の衆生を根底から救済される御本仏として、東土の日本より御出現になったのです。
  熟脱の教主たる釈尊の入滅が月氏の国、二月十五日であるのに対し、末法下種の仏の誕生が日の本の国、二月十六日であるのも不思議な因縁を示すものでありましょう。
  釈尊は自らの仏法の経力、功力の及ばぬ末法という時代に新しい久遠元初の本仏の出現、つまり大聖人の赫々たる法華経の行者としての御振舞を、法華経の神力品に
「日月の光明の能く諸の幽冥(ゆうみょう)を除くが如く、斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅せん」(開結584頁)と予証されております。
  日蓮の「日」とはこの「日月の光明」を意味し、御誕生の数日前より小湊の海に忽然(こつねん)と生じた蓮華の奇瑞は法華経涌出品の「如蓮華在水」(開結584頁)をあらわし、大聖人は四条金吾女房御書に
  「明らかなる事日月にすぎんや。浄き事蓮華にまさるべきや。法華経は日月と蓮華となり。故に妙法蓮華経と名づく。日蓮又日月と蓮華との如くなり」(新編464頁)と、日蓮との御名乗りが即、日月の大光明、末法万年を照らす仏を詮するものであることを御宣言遊ばされております。
  日月の光明は即日蓮であり、蓮華は即日蓮であり、妙法蓮華経の大法はまた日蓮であります。したがって大聖人の御誕生は末法の御本仏、久遠元初の自受用身の御出現であります。
  宗祖日蓮大聖人の御誕生会はこの御本仏の末法への御出現を御祝い申し上げ、その報恩の為に奉修し、私共日蓮正宗の僧俗一体となって妙法広布の赤誠を御誓い申し上げる大法会であります。 

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