平成20年 3月20日()  午後 2:00

本堂に於いて、尾林住職の導師のもと、春季彼岸会が奉修されました。


 彼岸とは梵語のパーラミター(波羅蜜)という言葉の訳語で、悟りの境智、究竟、解脱、涅槃への到達完成を意味し、私共の住んでいる裟婆世界、煩悩、業、苦にさいなまれる我身を此岸に譬え、煩悩、業、苦の三道を、また衆生の苦しみや悩みや大難を、法身、般若、解脱へと転ずる事、つまり成仏の境界に至る事を彼岸に譬えるのです。

 その煩悩を菩提へと転じ顕す大法、生死の苦を涅槃へと導く大船、裟婆の忍土を寂光土へと変える教えが妙法蓮華経の大白法であります。

 これはまさに妙法独自の境界であり、大聖人の仏法は念仏宗の様な、ありもしない架空の西方極楽の別世界、キリスト教の如き神の国のおとぎ話を説くのではなく、現実の我が色心を六根清浄の仏身へと変え、三世の人々を非情有情共に成仏せしめ、此の国土、我が家をして常寂光土たらしめる真実の一切衆生救済の大仏法なのです。

 大聖人は煩悩即菩提の功徳について、
「所詮今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は六根清浄なり(中略)はと云う事なり。又は悪を滅するを功と云ひ、善を生ずるを徳と云うなり。功徳とは即身成仏なり、又六根清浄なり」
(『御義口伝』新編1775)と仰せになっておられます。

又生死即涅槃について、「無始より以来我が身中の心性に迷ひて生死を流転せし身、今此の経に値ひ奉りて、三身即一の本覚の如来を唱ふるに顕はれて、現世に其の内証成仏するを即身成仏と申す。死すれば光を放つ、是外用の成仏と申す」(『一念三千法門』新編109)と説かれています。

次に裟婆即寂光について、「されば我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ、常寂光土の都たるべし。我等が弟子檀那とならん人は一歩を行かずして天竺の霊山を見、本有の寂光土へ昼夜に往復し給ふ事、うれしとも申す計り無し申す計り無し」(『最蓮房御返事』新編588)と示されております。

いま日蓮正宗に於ける彼岸の本義は、まず生きている私たち一人一人が自分をはぐくみ、即身成仏して幸せな境界を開き、その御本尊の力、妙法の功徳をもって過去の一切の人々を追善供養し、その塔婆と唱題の功徳が未来の福運果報冥加となって輝き、畢竟、妙法による正しい最善の信心修行が、一家の過去と現在と未来の三世を救うという広大な意義を含んでいるという事であります。

大聖人は塔婆供養の意義と功徳について、「我等衆生死するとき塔婆を立て開眼供養するは、死の成仏にして草木成仏なり」(『草木成仏口決』新編522)

「丈六の卒塔婆をたてゝ、其のに南無妙法蓮華経の七字を顕はしてをはしませば、北風吹けば南海の、其の風にあたりて大海の苦をはなれ、きたれば西山の鳥鹿其の風を身にふれて畜生道をまぬかれての内院に生まれん。況んやかの卒塔婆に随喜をなし、手をふれ眼に見まいらせ候人類をや。過去の父母も彼の卒塔婆の功徳によりて、天の日月の如く浄土をてらし、孝養の人並びに妻子は現世には寿を百二十年持ちて、後生には父母とともに霊山浄土にまいり給はん事、水すめば月うつり、つゞみをうてばひゞきのあるがごとしとをぼしめし候へ 」(『中興入道御消息』新編1434)と御教示遊ばされております。

大御本尊の力用、題目の功力、塔婆回向の功徳は十方の法界を救い、三世の人々を救うのであります。

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