平成20年 5月18日(
午後 1:00 本堂に於いて

 毎年4月6日・7日の両日、総本山でおこなわれる御霊宝虫払大法会と共に、妙光寺に於いても毎年奉修されております。
 秋の御大会(ごたいえ)とともに日蓮正宗の2大法要の1つです。
 宗祖日蓮大聖人よりこのかた700年の長い間、本宗に伝えられてきたたくさんの重要な宝物を後世に永く伝えていくため、年に一度湿気を払い、害虫を除くなど保存に必要な手入れをし、あわせて多くの参詣者に披露して信行倍増に資する大事な儀式です。


 大聖人がご入滅されたのち、本弟子6人のうち、日昭・日朗などの5人は、「大聖人が仮名文字で書かれた手紙は、御供養の返礼として愚痴の者を導くためのものであり、これを残しておくことは、大聖人の恥を後世に残すようなものだ」と言って、すき返したり、焼いてしまいました。これは、「大聖人は末法の一切衆生を救う仏様である。したがって大聖人のおおせられたお言葉、書きのこされた文字は仏様のご金言であり、尊いお経である」という大事なことを、血脈相承のない五老達が、よくわからなかったためといえます。
正嫡第2祖日興上人は、その心得違いをさとすかたわら、つとめてあちこちに散在している御書を集めたり、重要な御書の目録を作り解説を書きのこされました。また、みずから筆をとって御書を書き写 すなどして大聖人の尊い教えがなくなってしまうことを防がれたのです。
こうした日興上人のご精神を受け継いで、代々の歴代上人がこれらの重宝を身をもって守り伝えてきたのです。



平成20年度
御霊宝虫払法要奉掲  御本尊 並びに 重宝

中央
宗 祖 日蓮大聖人
弘安二年四月八日

東一番
 日蓮大聖人御形木御本尊
 弘安三年五月九日
西一番
 日蓮大聖人御真筆
  『南条兵衛七郎殿御書』
 日興上人御書写
  『唱法華題目抄』
東二番
 二祖 日興上人
 嘉元三年二月□三日
西二番
 二祖 日興上人
 元享二年十二月十八日
東三番
 十四世 日主上人
 天正十六年六月廿日
西三番
 九世 日有上人
 文安二年九月廿二日
東四番
 十六世 日就上人
 寛永五戊辰暦六月六日
西四番
 十四世 日主上人
 天正十六年戊子六月二十日 
東五番
 十七世 日精上人
 天和三癸亥年十月日
西五番
 十七世 日精上人
 延宝四丙辰年五月日
東六番
 二十三世 日啓上人
 元禄四辛未三月廿八日
西六番
 二十二世 日俊上人
 元禄三庚午年十月七日
東七番
 二十四世 日永上人
 元禄九歳正月九日
西七番
 二十三世 日啓上人
 元禄五年正月十三日
東八番
 二十四世 日永上人
 宝永二乙酉太才正月二十八日
西八番
 二十四世 日永上人
 元禄九歳七月十六日
東九番
二十六世 日寛上人
享保九年六月十三日
西九番
二十六世 日寛上人
享保三年九月日
東十番
 二十六世 日寛上人
 享保十一歳正月廿五日
西十番
 二十六世 日寛上人
 享保十年七月廿九日
東十一番
 二十六世 日寛上人
 享保十一年三月五日
西十一番
 二十六世 日寛上人
 享保十一年二月十三日
東十二番
 二十八世 日詳上人
 享保十二年十二月二十八日
西十二番
 二十七世 日養上人
 享保第五年六月日
東十三番
 二十九世 日東上人
 享保第十八年稔嘉月下澣廿七日
西十三番
 二十八世 日詳上人
 享保十三年三月吉祥日
東十四番
 二十九世 日東上人
 享保十九年四月八仏誕生
西十四番
 二十九世 日東上人
 享保十九年正月十一日
東十五番
 三十世 日忠上人
 元文二年正月十五日
西十五番
 二十九世 日東上人
 元文元年十月十四日
東十六番
 三十一世 日因上人
 延享五年正月二十八日
西十六番
 三十世 日忠上人
 元文四年二月中澣六日
東十七番
 三十二世 日教上人
 宝暦二年二月日
西十七番
 三十一世 日因上人
 宝塔供養三千幅之内
 寛延二年六月十三日開眼
 寛延三庚午年二月廿八日
東十八番
 三十三世 日元上人
 (安永二年)
 加筆 五十一世日英花押
 天保十三壬寅年三月廿日感得之
西十八番
 三十三世 日元上人
 宝暦六丙子年十二月二日始書
東十九番
 三十五世 日穏上人
 明和六年六月十五日
西十九番
 三十四世 日眞上人
 明和元年 二月仏生日
東二十番
 三十六世 日堅上人
 明和八年十一月七日
西二十番
 三十五世 日穏上人
東二十一番
 三十六世 日堅上人
 安永三年正月二十九日
西二十一番
 三十六世 日堅上人
 明和九年二月二十九日
東二十二番
 宗祖日蓮大聖人御絵像
 正榮山現住日芳
西二十二番
 宗祖日蓮大聖人御絵像
 三十二嗣法日教
 宝暦二年八月仏生日
  西二十三番
 宗祖日蓮大聖人御絵像
 不二山三十五世日穏
 奉開眼之 三幅一対三義惣在
 明和六九月廿五日

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