真実の御本尊の尊さ

妙光寺通信(平成17年6月5日)

万人を救う信仰の対象としての御本尊には大きく三つの要件が具わっていなくてはなりません。

その一つは久遠元初の御本仏による久遠元初の本地の悟りにもとずく下種の法体が確立されている事が必要です。これを「根本尊崇」と言って、久遠元初の根本の尊崇に値する大法と言う意義であります。

日蓮大聖人は「百六箇抄」に大聖人御建立の御本尊について、

諸経・諸宗中王の本尊は万物下種の種子無上の大曼荼羅なり。」(御書一六九七)

と仰せになっています。

これを「法の本尊」と申します。

第二には「久遠本有の尊形」と言って御本仏自らが久遠元初の御本仏の御境涯を開示されなければならないという事であります。

日蓮大聖人は此の事についても、「百六箇抄」に

久遠元始の天上天下唯我独尊は日蓮是なり。」(御書一六九六)

と、日蓮大聖人こそ久遠元初の御本仏にまします尊い御姿を御教示下さっています。この御本仏を「人の本尊」と申します。

第三には三世十方の諸仏のみならずあらゆる人々を仏の境涯に導く事のできる原理と、その御本仏の十界が互具し、一念三千の道理を具備した御本尊である法体と力用が開顕されなければならないという事であります。

日蓮大聖人はこの法門について、「草木成仏口決」に

一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり。」(御書五二三頁)

と、明確に開示されています。

こうした仏法上の久遠本源の御本仏の悟りに基ずく人法一体の御本尊、つまり「本来尊重」の御本尊は日蓮大聖人の「本門の本尊」以外にはないという事がおわかりでしょう。

何よりも久遠の御本仏に帰依し、久遠の御本仏の法体の大御本尊を信じて、本物の信仰を全うする事が大切なのです。