正食の人と麁食の人
妙光寺通信(平成17年11月6日)
仏教には「戒を中心とした小乗教」と、「人の成仏不成仏という大衆の救済と深い哲理を中心とした大乗教」があり、大乗教の中にも「方便の権大乗教」と「法華真実の実大乗教」の浅深勝劣があります。
勿論、小乗教よりも念仏・真言等の権大乗教が勝れ、権大乗教よりも実大乗教の法華経が最も勝れている事は論を待ちません。
伝教大師はこの法華経を修する人を「正食の人」と名づけ、小乗や権大乗教に執著する人を「麁食者」と言い、経教の正邪浅深を食物の正麁に譬えて、法華経の修行者を醍醐味を味わう人、それに対して小乗や権大乗の人は麁食や穢食しか味わう事の出来ない人と言われています。
伝教大師はさらに「法華秀句」において法相宗の徳一との権実論争の時、
「現在の麁食者は偽章数巻を作りて法を謗じ人を謗ず。何ぞ地獄に堕せざらんや」
と論破されています。
日蓮大聖人はまた、「教機時国抄」に
「瓦礫を捨てて金珠を取るべし。金珠を捨てて瓦礫を取ること勿れ」(御書二七一)
と仰せられて、小乗や権大乗の念仏・真言・禅宗等もいさぎよく捨てて、法華真実の大法に改めるべき事を教示されているのです。
小乗と大乗の勝劣、権教と実教の相違も、正邪の区別もつかない諸宗の学者に惑わされてはなりません。