佐渡御書

令和五年十月度 御報恩御講拝読御書

佐渡御書さどごしょ 御書五七九ページ七行目~一一行目
(文永九年三月二十日 五十一歳)

悪王あくおう正法しょうぼうやぶるに、邪法じゃほうそう方人かたうどをなして智者ちしゃうしなはんときは、師子王ししおうごとくなるこころをもてるものかならほとけになるべし。れいせば日蓮がごとし。これおごれるにはあらず、正法しょうぼうしむこころ強盛ごうじょうなるべし。おごものかなら強敵ごうてきひておそるゝこころ出来しゅったいするなり。れいせば修羅しゅらのおごり、帝釈たいしゃくめられて、無熱池むねっちはちすなか小身しょうしんりてかくれしがごと正法しょうぼう一字一句いちじいっくなれども時機じきかなひぬればかなら得道とくどうるべし。千経万論せんぎょうばんろん習学しゅうがくすれども時機じき相違そういすればかなふべからず。

通釈

悪王が正法を破ろうとし、邪法の僧等がそれに味方して智者を滅ぼそうとする時は、師子王のような心を持つ者が必ず仏になるのである。たとえば日蓮のとおりである。これは驕って言うのではなく、正法を惜しむ心が強盛なるがゆえである。驕れる者は強敵に遭うと恐怖心を生じる。たとえば驕った阿修羅が帝釈天に攻められて、無熱池の蓮の中に小さくなって隠れたようなものである。正法は一字一句でも、時機に適えば必ず成仏する。千経万論を習学しても、時機に相違すれば成仏は叶わないのである。

主な語句の解説

  • 方人

ひいきすること。味方。

  • 師子王

武百獣の王ライオンのこと。大聖人は法華経や仏の勝劣を示す譬えとして用いられる。また仏の説法を師子の吼える声にたとえて「師子吼」とも称する。法華経従地涌出品第十五には「諸仏の師子奮迅の力」(法華経四一八)とある。

  • 修羅のおごり~隠れしが如し

『観仏三昧海経』(大正蔵一五―六四七)に説かれる。帝釈天に戦いを挑んだ阿修羅王が反撃に遭い、蓮の穴に逃げ込んだという説話。

  • 無熱池

炎熱の苦しみがない池。仏教で説く南閻浮提(人間世界)の中心にあり、四大河の水源とされる。阿耨池・無熱悩池、清涼池ともいう。