戸田城聖会長の憂い

妙光寺通信(平成18年11月5日)

創価学会の第二代会長戸田城聖氏は昭和三十年三月十一日の小樽問答の論争終了後、総本山六十四世日昇上人の御宿舎に御報告に上がり、その最中の話の中で、「将來創価学会が大きくなって宗門にたてつくようになったら、その時は即座に創価学会に解散命令を出して下さい」と述べたという記録が、柿沼大東院日明贈上人の日記の中に明確に書かれている。

戸田会長は学会の勢いあまっての暴挙を心配されていたのである。

また本山本門寺住職横田智研師の証言によると、昭和三十一年八月十日、岡山の妙霑寺落慶入仏法要の砌、今度は総本山第六十五世日淳上人に対して、「創価学会がどんなに大きくなっても宗門の行政にたてつくような、逆らうような事があったら、即座に解散を命じて下さい」と言われたと言う。同席していた本山妙蓮寺の吉田御尊能化、本行寺の高野御尊能化も記憶されているとの事である。

創価学会ではそんな記録はないと言うであろうが、戸田会長は学会の行末を案じておられた事実は動かせない。

宗門側の記録には厳然として残されているのである。平成三年十一月の解散勧告書、破門通告書は戸田会長の憂いがまさに適中してしまったと言えるだろう。

池田大作の性格から来る言動や行状から、戸田会長は遠く未来を危惧しておられたのである。