ついに創価学会が大御本尊と決別「創価学会会則 教義条項」変更を発表

妙光寺通信(平成26年11月16日)

11月8日付の「聖教新聞」報道によると、7日に行われた「総務会」において「創価学会会則 教義条項」の変更が議決され、その後に行われた「全国総県長会議」の席上、会長の原田稔はその経緯を述べ、今後、学会が「広宣流布のための御本尊を認定」し、「弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません」として、本門戒壇の大御本尊と決別するという驚くべき日蓮大聖人への大反逆の方針を打ち出しました。

会則の改変
創価学会は、先に、昭和五十四年に制定していた会則において、「この会は、日蓮正宗の教義に基づき、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」と、本門戒壇の大御本尊を根本とすると明記していましたが、これを、平成十四年に、「この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ一閻浮堤総与・三大秘法の大御本尊を信受し、日蓮大聖人の御書を根本として、日蓮大聖人の御遺命たる一閻浮提広宣流布を実現することを大願とする」と改変しました。これは、「弘安二年十月十二日の本門戒壇」との文言を削(けず)ることにより、会員の大御本尊への信仰心・渇仰(かつごう)心をできるだけ薄めようとするものでしたが、今回さらに、「この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、根本の法である南無妙法蓮華経を具現(ぐげん)された三大秘法を信じ、御本尊に自行化他にわたる題目を唱え、御書根本に、各人が人間革命を成就し、日蓮大聖人の御遺命である世界広宣流布を実現することを大願とする」と改変したのです。 特に、今回の改変の主旨は、教義の根幹たる御本尊に関する定義を変更したことにあります。 すなわち、従来の会則の、「一閻浮堤総与・三大秘法の大御本尊を信受し」との箇所を、「根本の法である南無妙法蓮華経を具現された三大秘法を信じ、御本尊に白行化他にわたる題目を唱え」と改変し、「一閻浮堤総与」「大御本尊」の文言を削除したのです。 この文言の変遷(へんせん)に、創価学会の狙いが明らかです。それは、次第次第に、本門戒壇の大御本尊の名称を、変化消滅させていくことにより、その実体からも、学会員を遠ざけていこうとする周到な策謀(さくほう)ということです。そして、今回ついに原田は本音を曝(さら)け出しました。すなわち会則改変の説明の中で、「創価学会は、大聖人の御遺命の世界広宣流布を推進する仏意仏勅(ぶついぶつちよく)の教団であるとの白覚に立ち、その責任において広宣流布のための御本尊を認定します。したがって、会則の教義条項にいう『御本尊』とは創価学会が受持の対象として認定した御本尊であり、大謗法の地にある弘安二年の御本尊は受持の対象にはいたしません。世界広布新時代の時を迎えた今、将来のためにこのことを明確にしておきたいと思います」と述べたのです。この「受持の対象にはいたしません」との意味は「信仰の対象にはいたしません」ということであって、巧(たく)みに言葉をぼかしてはいますが、要は、本門戒壇の大御本尊からの明確な決別宣言です。しかし、創価学会はこれまで、平成三年の破門以降も大御本尊への信仰は示していたのですから、今回の決別宣言は、一般会員にとっては矛盾(むじゅん)がありすぎて、到底受け止め切れるものではありません。そこで考え出された言い訳が、「当時、宗門とのとの僧俗和合時代に信仰実践に励んできた会員の皆さまの感情や歴史的な経過を踏まえ、この『一閻浮堤総与・三大秘法の大御本尊』については、『弘安二年(一二七九年)の大御本尊』を指すとの説明を行っていました」との言辞です。しかし、教義・信仰の一番大事な中心根幹たる御本尊の定義を語るに当たって、会員の感情や歴史的経過を考慮したとは、何といういい加減な定義でしょうか。

三大秘法とは戒壇の大御本尊なり
これら創価学会の暴挙は、彼らが尊信する日寛上人の御指南に背(そむ)く言語道断の所業です。すなわち日寛上人は、『観心本尊抄文段』に、「弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究意の中の究意、本懐の中の本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり、況んや一閻浮堤総与の本尊なる故なり」(御書文段一九七甲)と述べられており、大聖人のすべての大曼荼羅本尊の中で「究意の中の究意、本懐の中の本懐」である「本門戒壇の大御本尊」こそ、大聖人の出世本懐であり、本門三大秘法随一の究極の御法体であり、一閻浮堤総与の大御本尊なのです。 また日寛上人は、『依義判文抄』に、「三大秘法を合すれば則ち但一大秘法の本門の本尊と成るなり。故に本門戒壇の本尊を亦は三大秘法総在の本尊と名づくるなり」(六巻抄 八二ページ)と仰せられて、「本門戒壇の大御本尊」こそ三大秘法総在の御本尊であることを確言されています。したがって、「本門戒壇の大御本尊」の建立がなければ、大聖人の三大秘法の御化導は成就せず、末法濁悪の一切衆生は仏道を成就することができません。大聖人の出世の本懐は、三大秘法総在の「本門戒壇の大御本尊」の建立にあったのです。なお、御歴代上人の書写された御本尊には「奉書写之」と認(したた)められておりますが、それは本門戒壇の大御本尊の御内証を、代々の御法主上人が唯授一人金口(ゆいじゅいちにんこんく)の血脈もって書写されたことを示しています。 もそも日興上人が『日興跡条々事』に、「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊」(御書一八八三ページ)と記される「弘安二年の大御本尊」こ そ、本門戒壇の大御本尊であり、まさに学会の大郷本尊との決別は、御本仏日蓮大聖人に反逆し、日興上人の教えに背き、下種仏法を破壊するものであり、外道(げどう)に堕落(だらく)した新興の邪宗教たることが明白です。また、今回の暴挙は、「仏教の極意たる妙法の日蓮正宗大石寺にのみ正しく伝はる唯一の秘法があることを知らねばならぬ」(大善生活実証録・第四回総会報告一四ページ)と指導した牧口初代会長、また、「なんといっても、御本山に登り、親しく大御本尊様を拝まなくては、本物の信心にはなれない」(戸田城聖先生講演集 上-二二ページ)と、ひたすら戒壇の大御本尊を渇仰して会員に登山を啓蒙すると共に、学会を再建した戸田二代会長も、さぞかし無念でしょう。また、戸田会長は、「われわれの貧乏と苦悩を救わんがために、日蓮大聖人様は大御本尊様を建立し遺(のこ)されてある。これは、弘安二年の十月十二日の大御本尊様のただ一幅なのです。そこから、分身散体の方程式によりまして、ずうっと出てくるのです。それから、ほかの本尊、どこのを拝んでも絶対にだめなのです。弘安二年の十月十二日の大御本尊様から出発したものでなければ、法脈が切れてますから、絶対だ めなのです」(同 下-一一二ページ)とも指導しており、大聖人の仏法は本門戒壇の大御本尊を離れては「絶対にだめである」ことを何度も強調しています。  よって今回の所業は、大聖人への大反逆はもちろんのこと、近くは、学会を作り育てた牧口・戸田両会長にも反逆する悪行です。これは池田の大謗法による一般会員への洗脳が、学会内に根深く浸透した事を意味するものであり、一般の会員から、本門戒壇の大御本尊への渇仰恋慕(れんぼ)の心を完全に喪失(そうしつ)せしめる意図によることは明らかです。しかも、池田は過去に、「この大仏法の究極唯一の法体は、申すまでもなく、本門戒壇の大御本尊」(広布と人生を語る 二-一二二ページ)等と述べ、かつまた、「日蓮大聖人の御魂は、多宝富士大日蓮華山大石寺にまします本門戒壇の大御本尊に御留めおかれているのである」(同 三-二四六ページ)と述べていますが、本門戒壇の大御本尊に対する絶対信を披渡(ひれき)した発言は枚挙(まいきょ)にいとまがありません。さて今回の説明で原田は、「大謗法の地にある弘安二年の御本尊は受持の対象にはいたしません」と述べて、大御本尊との決別を宣言しましたが、かつて池田は、「日蓮正宗創価学会の根本中の根本は、一閻浮堤総与の本門戒壇の大御本尊であることはいうまでもない。しかもその大御本尊は、日蓮正宗に厳然とおわします。そして宗祖日蓮大聖人より第二祖日興上人、第三祖日日上人と代々の御法主上人現下が法水瀉甁・血脈相承され、現在は、第六十七世日顕上人祝下に、いっさい受け継がれているのである」(広布と人生を語る一-一三一ページ)と述べていました。では、創価学会の申では生き仏のように思われている池田が本門戒壇の大御本尊のみならず、御歴代上人とりわけ日顕上人に対しても絶対信を示していたことはどう考えればよいのでしょう。池田の目は究極の節穴(ふしあな)なのか、それとも稀代(きだい)の嘘つきなのか。この矛盾も許されるものではありません。

御歴代上人の御本尊はすべて大御本尊の御内証を御書写
また今後、創価学会がいかなる御本尊を認定しようとも、御歴代上人の御本尊は、すべて本門戒壇の大御本尊の御内証を書写した大漫茶羅であり、大御本尊の分身散体です。そのことは、戸田会長も過去に指導するところです。また今回、自分たち(池田及び執行部幹部)が、御本尊を認定すると言いますが、それは所化(救われる者)が能化(救う者すなわち仏)を決めるということです。しかし、およそ大聖人を御本仏と仰ぐのであれば、自分勝手に本尊を認定するなどという大増上慢が許されるはずもなく、大聖人が一闇浮掟に総与された御本尊を根本とする以外に正道はなく、それが本門戒壇の大御本尊であられるのです。戒壇の大御本尊は、大聖人が第二祖日興上人に相伝された御本尊ですが、それはまた、一切衆生の成仏を願われて顕われた御本尊なのです。ここには、この戒壇の大御本尊が、大聖人の御一身の御当体であられるという、いわゆる人法一体(にんぽういったい)の意義と徳用(とくよう)が存在しています。爾来(じらい)、大御本尊は、御歴代上人によって護持されてこられました が、また大聖人が常に御歴代上人を守護されている御意が拝せられるのです。さらには、種・熟・脱の仏法の根源である下種仏法の御本尊ですから、三世十方の諸仏が護念されるのです。そのような御本尊が謗法の地に置かれるなどということがあれば、それは仏法そのものを否定する外道の見解に他なりません。したがって、弘安二年の本門戒壇の大御本尊が謗法の地にあるなどということはあり得ないのです。日寛上人は本尊所住の処を戒壇と教示されています。戒壇とは最上清浄の地です。すなわち『安国論愚記』には、「当に知るべし、仏道を行ぜんと要むれば応に此の戒壇の地に任すべし。自然と本門の本尊を信じ、自然と本門の題目を唱う。故に自然と『是名持戒』の行者なり。(中略)慧心の歌に云わく「山里に住めばをのづと持戒なり実なりけり依身より依処 云云」(御書文段一二ページ)と述べられて、身の清浄よりも、処すなわち本尊所住の処を優先されています。この意味は、戒壇の地がいかに尊い霊地であるかを示されているのです。不信誘法の池田をはじめとする創価学会の幹部たちは、五欲に耽(ふけ)る自らのその日に映るものが、真実かのように思っていますが、それこそが天地顛倒(てんちてんどう)の邪見なのです。なぜならば、創価学会の幹部は仏なのか。そんなはずはありません。これは誰でも判ることです。仏でない者が、仏を選び決定する。それがおかしいことは小学生でも判ることです。こんな欺瞞(ぎまん)に満ちた論議を、幹部と称する者たちが、真剣なフリをして、恥ずかし気もなく学会員に説いているのが現実なのです。要するに、自分たちが仏(本尊)を決めることに文句があるかというのが、今回の会則の改変劇を企てた幹部の本音でしょう。つまり、そうまでして学会員を苦しめても、池田や原田等の最高幹部は何の痛痺(つうよう)も感じないのであり、創価学会の悲劇と諸悪の根源は、一般会員の上にあぐらをかく、これら幹部の狂乱した心中にあることを指摘しておきます。ところで、平成五年に『二七本尊』を販売した際、創価学会は「御本尊授与についてのQ&A」を発表しています。そこでは、「会館や各家庭の御本尊を拝むだけで功徳があるのですか」という問いに対して、「功徳があることはいうまでもありません。会館や家庭に安置されている御本尊も、大御本尊を書写したものであり、大御本尊と全く同じ功力があります。それぞれの御本尊に向かって唱える題目は即座に大聖人に直結して大功徳を生ずるのです」と答えていました。このように、「大御本尊を書写したもの」と認めながら、その根本の大御本尊を、今回は「受持の対象とはいたしません」と言って放棄するのは支離滅裂な信仰と言えます。

大聖人の御遺命は本門寺の戒壇建立
さて原田は、大御本尊と決別する大悪事を正当化するため、「ある場所に特定(とくてい)の戒壇があり、そこに安置する御本尊が根本の御本尊で、その他の御本尊はそれにつながらなければ力用が発揮されないという、あたかも〝電源と端子″の関係であるかのような本尊観は、世界広宣流布が事実の上で伸展している現在と将来において、かえって世界広布を阻害するものとなりかねない」などと弁解しておりますが、大聖人御自ら『三大秘法抄』に、「霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か」(御書一五九五ページ)と、また『日蓮一期弘法付嘱書』に、「富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」(同一六七五ページ)と、戒壇の場所を明確に特定あそばされ ています。また日寛上人は、『文底秘沈抄』に、「三大秘法随一の本門戒壇の本尊は今富士の山下に在り」(六巻抄 六四ページ)「富士山は走れ広宣流布の根源なるが故に。根源とは何ぞ、謂わく、本門戒壇の本尊走れなり」(同 六八ページ)と、富士大石寺こそ本門戒壇の大御本尊を安置する故に広宣流布の根源であると示されています。故に大御本尊との決別を正当化せんとする原田の誑惑(おうわく)の主張自体、大聖人の御指南に背く、我意我見の 大謗法の僻見(びゃつけん)であることが明らかです。このことについても、池田は、「日蓮正宗の根幹をなすものは血脈である。大御本尊を根本とし、代々の御法主上人が、唯授一人でこれを受け継ぎ、令法久住をされてこられた。御本尊を御認めあそばすのは、御法主上人御一人であられる。われわれは、令法久住のための信心を根幹として、広宣流布に邁進しているのである。しかし、いくら広宣流布といっても、御本尊の御認めがなければできない。われわれは、あくまでも総本山根本、御法主上人厳護の信心で進んでまいりたい」(広布と人生を語る 三-二五六ページ)と、大御本尊に対する正しい信仰と、血脈に対する強い尊信を述べています。これらが気まぐれではなく、確固たる信念であったことは、要括する指導として、「ただ、次の点だけは不動の路線であることを忘れてはならない。それは、 一、三大秘法の大御本尊がいっさいの根本であると拝していくことだ。 二、御法主上人の御もとに日蓮正宗の伝統法義を確実に体していくことだ。 三、それを基調として、学会は、広宣流布の展開をしていくのである」(同三-二七一ページ)と、基本理念として、また絶対的信条として、大御本尊を根本とし、「御法主上人の御もとに日蓮正宗の伝統法義を確実に体していく」ことを語っていることからも判ります。

戒壇の大御本尊こそ出世の本懐
そもそも、本門戒壇の大御本尊は日蓮大聖人一期(いちご)の最大事であり出世の本懐です。『聖人御難事』に、「仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。其の中の大難申す計(ばかり)りなし。先々に申すがごとし。余は二十七年なり。其の間の大難は各々かつしろしめせり」(御書一三九六ページ)と教示されるように、釈尊は四十余年に法華経を説き、天台大師は三十余年に摩訶止観を講説し、伝教大師は二十余年に大乗戒壇を建立して、それぞれ出世の本懐を遂げたのです。つまり、大聖人が『聖人御難事』に示された釈尊・天台大師・伝教大師の出世の本懐とは、年限を挙げて、いずれも具体的な御事蹟を意図されているのです。故に、大聖人におかれても、「余は二十七年なり」と、宗旨建立より二十七年 の弘安二年に当たり、今正しく出世の本懐を遂げようとする御意志を示されたことが明白です。『阿仏房御書』には、「あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ侯ぞ。子にあらずんばゆずる事なかれ。信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ。出世の本懐とはこれなり」(同 七九三ページ)と、出世の本懐とは宝塔を書き顕わす意、つまり大漫茶羅御本尊の御図顕にあることを述べられていますから、先の『聖人御難事』の文と合わせ拝すれば、『聖人 御難事』が著された弘安二年十月に、大聖人の出世の本懐が遂げられたことは見易い道理です。つまり、弘安二年十月十二日に建立された「本門戒壇の大御本尊」が出世の本懐であることは明らかなのです。それについて、創価学会では、かつて末端の会員に対して、「この本門戒壇の大御本尊を根本として、血脈付法の歴代の御法主上人が大御本尊を御書写になり、御下附(ごかふ)くださったのが、私達の家家に御安置申し上げている御本尊です」(大白蓮華昭和五十四年十一月号三六ページ)と指導していました。つまり、各家庭に授与された御本尊は、血脈付法の御歴代上人が、唯授一人金口の血脈をもって、本門戒壇の大御本尊の御内証を書写された御本尊なのです。また池田も前述の通り、本門戒壇の大御本尊と血脈に対する尊信を繰り返し指導していました。さらに第五代会長であった秋谷栄之助も、「日蓮大聖人はこれを機に、出世の御本懐として、弘安二年十月十二日に、本門戒壇の大御本尊を御建立になりました。この大御本尊こそ、末法万年のほか未来永劫にわたりいっさいの人人が即身成仏すべき根本の大御本尊であり、本門戒壇建立の時に、その戒壇堂に安置されるべき一閻浮堤総与の大御本尊であります」(創価学会に関する四十八問答 二九ページ 秋谷城永著・明文書房刊)と得々と正論を述べており、さらにまた前回平成十四年の折の会則改変の理由について、当時の斉藤教学部長は、「大御本尊を信受」との見出しのもと、「大聖人は、熱原の法難において民衆が不惜身命の信心を現したのに呼応して、弘安二年十月十二日に出世の本懐として大御本尊を顕されました。(中略)『分身散体(ぶんしんさんたい)』の意義に照らして、弘安二年の大御本尊を書写した御本尊を正しい信心で受持することはそのまま大御本尊の受持になります」(聖教新聞 平成十四年三月三十日付)と述べていました。以上のことからも、今回の大御本尊を受持の対象としない旨の暴挙は、創価学会発足以来、数多の会員によって数え切れないほど叫ばれてきた「本門戒壇の大御本尊」への尊信と、かつまた発言者の信用を著しく侵害する自家撞着(じかどうちゃく)の最たるものと言うべきです。

呆(あき)れた自語相違
なお、本年十一月二十三日には、創価学会教学部の任用試験が行われるとのことですが、その教材が『大白蓮華』に「平成二十六年度 任用試験のために」 として掲載されています。その中に、「教学入門 日蓮大聖人の御生涯」という項目があり、そこに「(7)熱原の法難と出世の本懐」として、「農民信徒たちの不惜身命(仏道修行のためには身命を惜しまないこと)の姿に、大聖人は、民衆が大難に耐える強き信心を確立したことを感じられて、十月一日に著された聖人御難事で、立宗以来『二十七年』目にして、『出世の本懐』を遂げられたと宣言されました。『出世の本懐』とは、仏がこの世に出現した目的という意み 昧です。  そして、弘安二年(一二七九年)十月十二日にい「一閻浮堤総与の大御本尊を建立されました(一閻浮堤総与とは全世界の人々に授与するとの意)。熱原の法難において、民衆が不惜の強き信心を表したことこそが、大聖人の大願である広宣流布成就の根本要件なのです」(大白蓮華 平成二十六年八月号六九ページ)と説明しています。この「熱原の法難と出世の本懐」という見出しからしても、「出世の本懐」が「大御本尊の建立」であることは、誰の目から見ても明らかでしょう。また本年十月十五日付の『聖教新聞』には、「『日蓮大聖人御入滅の日』の勤行法要が、十三日を中心に各地で行われた。これは、一二八二年(弘安五年)十月十三日の大聖人の『御入滅の日』、また一二七九年(同二年)十月十二日の『大御本尊御図顕の日』の意義をとどめたものである」という記事が掲載されています。この時点では、まだ「大御本尊御図顕の日」の意義を認めていながら、それから一カ月も経たないうちに、「大謗法の地にある弘安二年の御本尊は受持の対象にはいたしません」などと言うのは、呆れた白語相違です。また、「末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊は、(中略)等しく『本門の本尊』であります」と言いながら、「大謗法の地にある弘安二年の御本尊は受持の対象にはいたしません」などと矛盾する発言を行っています。これは、一方ではどの本尊でも等しいとしながら、別の方では本尊に認定するものと認定しないものがあるということで、支離滅裂な矛盾です。この「十界の文字曼荼羅」は理の赴(おもむ)くところ、どうしても本門戒壇の大郷本尊を指すことになります。このことは、池田が日蓮正宗から破門された後も、「大聖人の出世の本懐である一闇浮提総与(いちえんぶだいそうよ)の大御本尊が信心の根本であることは、これからも少しも変わらない」(聖教新聞平成五年九月十九日付)とスピーチしていることから、言い訳できることではありません。  このように、昭和五年に日蓮正宗から派生した創価学会は、平成三年に破門され、邪教へと転落しました。それでも、日蓮正宗の教義を模倣して正義を装い、また本門戒壇の大御本尊を信受するかのごとき似て非なる態度は、厚顔無恥な池田の卑怯さが如実に現われたものでした。しかし、今回、創価学会が大御本尊に対し決別を告げたことにより、創価学会破折の筋道が決定的に明確となりました。この事件が明年の日興上人御生誕七百七十年の佳節の前年に惹起(じゃっき)したということは、まさに日興上人の創価学会に対する決別の強い厳し辞しによるものと拝されます。これは、生ける屍(しかばね)となった池田大作をとことん利用して、魔の教団を将来に一旦って支配しようと企む、現在の腐り切った執行部の正体が、御仏意によって暴かれたもので、まさに悩乱の現証でもあります。今こそ我ら日蓮正宗僧俗は、大聖人の血脈正統門家の一員として、その重大な使命を心得、いかなる障魔にも怯(ひる)むことなく、創価学会の幹部とその邪義が大謗法であると、人法共に徹底して破折し、洗脳された創価学会員を一人でも多く堕地獄から救済し、即身成仏の道へと善導していこうではありませんか

創価学会会則の変遷
昭和五十四年四月二十四日制定 「この会は、日蓮正宗の教義に基づき、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」と、「本門戒壇の大御本尊を根本とする」と明記していたが、 平成十四年三月二十八日の改変 「この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、一間浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し、日蓮大聖人の御書を根本として、日蓮大聖人の御遺命たる一間浮提広宣流布を実現することを大願とする」と「弘安二年十月十二日の本門戒壇」との文言を削り、会員の大御本尊への信仰心・渇仰心をでるだけ薄めようとした。 今回の改変 「この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、根本の法である南無妙法蓮華経を具現された三大秘法を信じ、御本尊に自行化他にわたる題目を唱え、御書根本に、各人が人間革命を成就し、日蓮大聖人の御遺命である世界広宣流布を実現することを大願とする」と、教義の根幹たる御本尊に関する定義を変更した。

創価学会会則改変
重要ポイント
●昭和五十四年に制定した会則の教義条項から、平成十四年・今回と変更を重ね、本門戒壇の大御本尊の名称を変化消滅させた。これは、日蓮大聖人の出世の本懐である本門戒壇の大御本尊から会員を遠ざけていこうという周到な策謀である。
●会則変更の説明の中で、原田は、(イ)これまでは「会員の皆さまの感情や歴史的な経過を踏まえ、この『一閻浮堤総与・三大秘法の大御本尊』については弘安二年(一二七九年)の大御本尊』を指すとの説明を行っていました」(ロ)今後、創価学会が「広宣流布のための御本尊を認定」する(ハ)「会則の教義条項にいう『御本尊』とは創価学会が受持の対象として認定した御本尊」とし、「弘安二年の御本尊は受持の対象にいたしません」と発表。
①教義・信仰の一番大事な中心根幹である御本尊の定義を、「会員の皆さまの感情や歴史的な経過を踏まえ」て考慮したとは、何といういい加減な定義か。
②今回の暴挙は、牧口・戸田両会長にも反逆する悪業である。特に戸田会長は、大聖人の仏法は本門戒壇の大御本尊を離れては絶対にだめであると何度も指導している。
③自分たちが御本尊を認定するというが、それは救われる者(所化)が、救う立場(能化)である仏(御本尊)を認定するということである。池田大作及び創価学会幹部が仏であるということか、そんなはずはあるまい。 ④日蓮大聖人の出世の本懐たる本門戒壇の大御本尊と決別する暴挙は、創価学会発足以来、数多の会員によって数え切れないほど叫ばれてきた「本門戒壇の大御本尊」への尊信と、発言者の信用を著しく侵害する最たるものである。明年の第二祖日興上人御生誕七百七十年の大佳節を前に起こしたこの暴挙は、自分たちの意志で創価学会が会則を改変したと思っているかも知れないが、実は謗法厳誠の日興上人よりの厳しいお裁きである。一刻も早く脱会を呼びかけねばならない。