創価学会会長のカリスマ性

妙光寺通信(平成20年5月4日)

昭和二十六年五月三日に故戸田城聖氏の創価学会第二代会長の就任式が向島の常泉寺で行われた。その後、昭和三十三年四月二日の逝去に至るまで学会員の戸田 二代会長に対する尊敬の念は篤く、当時のどの幹部の指導にも、また体験発表者の言葉の中にも、常に戸田 先生、戸田先生という渇仰の言葉が繰り返されていた。

戸田二代会長の逝去後、第三代会長の就任後の近年の池田大作に対するカリスマ性も尋常ではなかった。しかし、同じ会長でも戸田二代会長と池田との間には、根本的な相違が見られる。

  第一に、戸田会長の指導には、総本山に対する絶対の信仰と外護の赤誠が一貫していた。
  第二に、日蓮正宗の命脈たる法主上人の血脈に対する絶対の信仰があった。
  第三に、本門戒壇の大御本尊と法主上人の御本尊書写と御下附の権能に対する絶対の信仰

があった。したがって、偽本尊に対する見解として戸田会長は

ただ、大御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人様の御悟り、唯授一人、代々の法主猊下以外にはどうしようもない。(中略)ニセですから、力がぜんぜんない。むしろ、魔性が入っている。だからコワイ。(折伏教本24) 

と指導している。ここに今日の池田創価学会の指導と、戸田第二代会長の指導とに百八十度の相違がある。今日の池田創価学会に身を置くならば、与同罪はもとより、無間地獄に突き落とされ、道連れにされるであろう。なんと不幸な事か。一日も早く目覚めるべきである。脱出すべきである。