謗法不信の人は仏種を断絶
妙光寺通信(平成18年2月5日)
釈尊の五十年にわたる教導の本懐、極理は法華経にあります。
その法華経に明かされる根源の久遠元初の妙法蓮華経の大法を信受することができず、小乗教や、権大乘教の念仏、真言、禅などに執着している人を「謗法の人」と言い、自ら成仏の種子を断ずる「悪知識」「悪友」とみなされているのです。
なぜならば法華経の譬喩品に釈尊自らが、
「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、則ち一切世間の仏種を断ぜん」(開結二四〇)
と、説かれているからです。
また同じ譬喩品に念仏や真言、禅、天台等の
「悪知識を捨てて法華経の善友に親近せよ」(開結二四七)
との教導があることをみのがしてはなりません。
日蓮大聖人は法華経における釈尊の化導の正意を明かされて、『生死一大事血脈抄』に
「謗法不信の者は「即断一切世間仏種」とて、仏に成るべき種子を断絶するが故に、生死一大事の血脈之無きなり」(御書五一四)
と断言されています。
悲しいかな此の法華経の極理を拝することができず、いつまでもいつまでも念仏、真言等に執着している人々は永久に仏となることが出来ず、謗法の罪障をますます深めていくことになるのです。
日蓮大聖人は『開目抄』に
「善に付け悪に付け法華経を捨つるは地獄の業なるべし」(御書五七二)
と、破折されていることに目覚めましょう。