真実の彼岸

妙光寺通信(平成18年4月2日)

仏教では悩みや苦しみの尽きない娑婆世界しゃばせかいを「此岸」とし、悟りや涅槃を「彼岸」にたとえ、「此岸」から「彼岸」に到ることを「波羅密」と言い、「到彼岸」と訳しています。

ことに一年の間に春と秋の二回の彼岸の時期に当たって、全国の寺院で「彼岸会」の法要を修するのは、特に亡くなった先祖代々の人々を安穏な寂光土に導いて涅槃、成仏の「彼岸」に安住されることを願ってのことであります。

その「彼岸」への橋渡しをしてくれるのが「大乗教」の中でも、最高の「一仏乗」の乗り物である久遠の南無妙法蓮華経の大法の力用によって、始めて生死の大海を越えて真実の彼岸へ渡ることが出来るのです。

その故に日蓮大聖人は

「生死しょうじの大海たいかいには爾前にぜんの経きょうは或あるいは筏いかだ或あるいは小船しょうせんなり。生死しょうじの此この岸きしより生死しょうじの彼かの岸きしには付つくと雖いえども、生死しょうじの大海たいかいを渡わたり極楽ごくらくの彼岸ひがんにはとづ届きがたし。」(御書三五〇)

と仰せられ、法華経の大法でなければ生死の大海を渡って真の浄土への得脱は出来ないと教示されています。

また「椎地四郎殿御書」にも

「生死しょうじの大海たいかいを渡わたらんことは、妙法蓮華経みょうほうれんげきょうの船ふねにあらずんばかなふべからず。」(御書一五五五)

と明言されています。

従って真実の成仏、真実の涅槃、真実の霊山寂光はいずれも妙法蓮華経の大法の世界であり、一切の人々を真に幸せに出来るのも久遠元初の妙法蓮華経の正法を離れて絶対に有り得ないのです。

さあ正法に帰依して家族全員で生死の大海を渡り、真実の彼岸へ参りましょう。