元朝の祈りについて
妙光寺通信(平成18年11月5日)
正月の声を聞くと、世間の人は初詣を連想します。
毎年元旦には何百人という人々が着飾って、明治神宮や、あるいは川崎大師、淺草寺等に初詣に行き、賽銭を投げ、一家の健康、交通安全、商売繁盛等々を祈っています。諸願の成就や御利益を願って、誰もが真剣に祈っています。
しかしながら、こうした神社仏閣への祈りや諸願は宗教の本質的な道理や因果関係の上から申し上げるならば、叶うはずはありません。
なぜかと申しますと、明治神宮や川崎大師、淺草寺の本尊や神体が何かと言う事を考え、またそうした本尊や神体と、交通安全や商売繁盛を具現する因果関係を調べてみると、何の関係もないことがわかります。
つまり明治天皇を顕揚し、明治天皇を神と祀る神社と交通安全乃至一家の健康や商売繁盛とは、何の因果関係も成立致しません。
こうした庶民生活の願いや諸願を成就するに当たって、一番大切な事は、正しい宗教、最も勝れた真実の御本尊を信受し、正しい修行に則った、正しい信仰に基づく事が最も大切なのです。
日蓮大聖人は諸宗の人々の祈りについて「諌暁八幡抄」に、諸宗の祈りは
「一分のしるしある様なりとも、天地の知る程の祈りとは成るべからず。魔王・魔民等守護を加へて法に験の有る様なりとも、終には其の身も檀那も安穏なるべからず。」(御書一五三一)
と、麻薬のように後の結果が恐ろしいと言われ、正法の人の祈りは「祈祷抄」に、
「大地はささばはづるとも、虚空をつなぐ者はありとも、潮のみちひぬ事はありとも、日は西より出づるとも、法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず。」(御書六三〇)
と法華経の行者の祈りは、正法への帰依によって必ず叶うとされています。
正月を前にして、一家の諸願を成就する為にも、正しい妙法蓮華経の大正法に帰依いたしましょう。