御会式
御会式とは、宗祖日蓮大聖人が、武州池上に於いて安祥として御入滅された十月十三日を中心に奉修され、日蓮正宗に於いては僧俗ともに最も大事な法要であります。従って総本山はもとよりの事、全国の寺院に於いても必ず奉修せられます。
大聖人は末法有縁の下種の御本仏であり、一閻浮提第一の聖人であり、末法万年の闇を照らし、濁悪の時代の一切衆生を救済し給う三世常住の仏であります。この三世常住、永劫不滅の仏が何故に現実に入滅せられたのか、この御化導の御本意を知らなくてはなりません。それは法華経の「寿量品」に、「衆生を度せんが為の故に方便して涅槃を現ず、而も実には滅度せず」(開結四三九項)と説かれるが如く、仏の生命は常住であるけれども、もしも仮にいつまでもこの土に住して、近くに実在されますと衆生は悉く安心していつしか渇仰の心を失ってしまいます。
そこで大聖人は一切の人々に仏の値い難きを教えんが為、恋慕発心の心をおこさしめんが為に、敢えて方便として寂滅の相を示現して入滅され、難遭の想いを生ぜしめ仏道修行の大事を勧奨せられたのです。
大聖人様はその準備として、まず大聖人の人法一箇の御本尊、仏宝法宝の法体を弘安二年十月十二日本門戒壇の大御本尊の上にとどめられ、その御内証、法門、化儀、誓願、修行の極理、御遺命は僧宝の師伝、血脈として本門弘通の大導師日興上人に御相承遊ばされたのであります。
大聖人の遠く末法万年の人々を悪門場からおもんばからえての御振舞、御化導であります。
しかして弘安五年十月十三日、大聖人は凡夫僧、示同凡夫の御姿の上に仏の涅槃の相を示現されたのであって、この現滅は同時に竜ノ口の法難とあいまって、久遠本仏の御境界に於ける不滅を顕わしておられるのであります。
大聖人の御入滅の時、突如として大地が震動し、季節はずれの桜の花が開花したと言われる所以は、大聖人の御身が天地宇宙の法界と融合一体、十界互具、事の一念三千の南無妙法蓮華経の大生命体である事を表しており、現実の無常の入滅は実は自我偈に「滅不滅有りと現ず」と説かれる如く、御本仏の無常即常住、倶時相即の実相、生死不二の根本の御姿を如実に御示しになる事にあったのです。従って御会式は、大聖人の御命日にあたる法要等と言う簡単な意味に解してはなりません。
実は大聖人の滅不滅を祝し、三世常恒の大生命、無量の大慈大悲、本有自在の御境界をお喜び申し上げる儀式であり、同時に御宝前に立正安国論並びに御歴代先師の国家諫暁の申状を奉読申し上げ、我等が法華折伏破権門理の信心を御仏前に表し、大聖人様の御精神を永遠に厳守して忍難弘通、広宣流布への精神を誓う大法会であります。