18.塚原問答

当時の佐渡は念仏者の勢力が強く、念仏を破折する大聖人に対する風当たりは凄まじかった。大聖人を謀殺せんとする企てもあったが、法門で決着をつけることになった。文永九年(1272年)一月十六日と翌十七日の両日、念仏者の罵声の中、問答が行われたが、大聖人は完膚無きまで論破され、佐渡の念仏僧の第一人者である印性坊弁成は念仏が邪義であることを自認した。