21.身延御閑居

第三の国諌も幕府の用いるところとならなかった。平左衛門尉頼鋼と対面されて約一月後の五月十二日大聖人は鎌倉を離れ、日興上人の御案内によって、甲州(今の山梨県)波木井の郷身延山に隠棲された。