13.伊豆法難・御赦免
1261年/40歳/文応二年(伊豆法難)
1263年/42歳/弘長三年(御赦免)
松葉ヶ谷の草庵襲撃以来、千葉方面に逃れていた大聖人様が鎌倉に戻ってきました。しかし執権長時(極楽寺・重時の子供)は、これ以上世の中を騒がせないようにと大聖人様に突然無実の罪をきせ捕らえてしまうことにしました。
何の取り調べもしないまま大罪人にしてしまったのです。そしてどこに連れていくかも知らせずに大聖人様を小舟にのせ、伊豆の川奈の津という所にたった一人で置き去り、島流しにしてしまったのです。
そこをたまたま通りかかった舟守弥三郎という漁師が助けてくれました。弥三郎一家の献身的なお世話のお陰で、大聖人様に敵対していた地頭の伊東八郎左衛門の病気平癒の祈願がきっかけとなり大聖人様に帰依するようになりました。そして病気が治ったお礼に近くの海から漁師の網にかかった釈迦の仏像を差し上げました。
伊豆に流罪されてから一年と九ヶ月が過ぎていました。
大聖人様が四十二歳の時、北条時頼の配慮によってようやく許されました。そして無実の罪におとしいれた極楽寺の重時は流罪を決行した翌月に突然の病に倒れ発狂して苦しみぬいたあげくに亡くなりました。
また子供である執権長時も一年後に三十五歳の若さで父の後を追うように原因不明のまま発狂いて死んで行ったのでした。大聖人様を迫害し、法華経の行者を誹謗し続けて来た結果であったのでした。