御一生記
17.良観の祈雨

1271年/50歳/文永八年 このころになっても全国的(ぜんこくてき)に干魃(かんばつ)が続(つづ)き、まったく雨(あめ)が降(ふ)らなくなり野菜(やさい)も米(こめ)も枯(か)れ食(た)べるものが採(と)れなくなってい […]

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16.折伏布教

1269年/48歳/文永六年 大聖人様(だいしょうにんさま)は「十一通(じゅういっつう)の書状(しょじょう)」をもって陳情(ちんじょう)されたことを幕府(ばくふ)の要人(ようじん)たちが怒(おこ)って、何(なに)を仕掛( […]

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15.小松原の法難

1264年/43歳/弘長四年 大聖人様(だいしょうにんさま)の一行(いっこう)が安房(あわ)の国(くに)に帰(かえ)ってきたことを知(し)った東条景信(とうじょうかげのぶ)は武装(ぶそう)した数百人(すうひゃくにん)の兵 […]

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14.悲母の蘇生

1264年/43歳/弘長四年 この頃(ころ)から一層(いっそう)多(おお)くの大地震(だいじしん)が起(お)こり大疫病(だいえきびょう)が流行(りゅうこう)、今(いま)まで以上(いじょう)に大勢(おおぜい)の人(ひち)た […]

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13.伊豆法難・御赦免

1261年/40歳/文応二年(伊豆法難) 1263年/42歳/弘長三年(御赦免) 松葉ヶ谷(まつばがやつ)の草庵(そうあん)襲撃以来(しゅうげきいらい)、千葉方面(ちばほうめん)に逃(のが)れていた大聖人様(だいしょうに […]

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12.松葉ヶ谷の法難

1260年/39歳/文応元年 妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)に改宗(かいしゅう)することを物凄(ものすご)い気迫(きはく)で迫(せま)っていた大聖人様(だいしょうにんさま)の存在(そんざい)を恐(おそ)れ、いよいよ […]

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11.立正安国論

1260年/39歳/文応元年 人ひとびとの苦くるしみが増ますなかで大聖人様だいしょうにんさまは三十九歳さんじゅうきゅうさいのとき、ひとつの結論けつろんをだしました。 「鎌倉幕府かまくらばくふの間違まちがった仏教観ぶっきょ […]

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10.天変地異

1258年/37歳/正嘉二年 この頃(ころ)の鎌倉(かまくら)では大(おお)きな地震(じしん)がひんぱんに起(お)こり、不吉(ふきつ)とされている大彗星群(だいすいせいぐん)が大空(おおぞら)をおおい、洪水(こうずい)や […]

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9.鎌倉へ弘教

1253年/32歳/建長五年 大聖人様(だいしょうにんさま)は鎌倉(かまくら)の松葉ケ谷(まつばがやつ)に草庵(そうあん)を建(た)てられました。そこを拠点(きょてん)にして南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の […]

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8.境内で説法

1253年32歳/建長五年 「立宗宣言(りっしゅうせんげん)」をされた足(あし)で清澄寺(せいちょうじ)に戻(もど)り、師匠(ししょう)の道善房(どうぜんぼう)や兄弟子(あにでし)たちをはじめ廻(まわ)りにいた人(ひと) […]

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