1264年/43歳/弘長四年
大聖人様の一行が安房の国に帰ってきたことを知った東条景信は武装した数百人の兵隊を集めて大聖人様の一行を襲撃して来たのです。
突然の襲撃に弟子たちも応戦したのですが、大聖人様も右の額を斬られ左腕を折られました。そして弟子の鏡忍房が斬り殺され大聖人様は心を痛め成仏を願いました。
信徒の工藤吉隆もひん死の重傷を受けました。その怪我がもとで、まもなく亡くなってしまいました。
この襲撃の裏には良観たちの他宗の僧侶たちの後押しと陰謀があったのでした。そして重時の時とおなじように景信も襲撃の三日後に原因不明の発作を起こし苦しみ抜いたあげく亡くなっていきました。
この時をけいきに師匠の道善房も法華経に帰依し大聖人様の仏門の一員となられました。