15.小松原の法難

1264年/43歳/弘長四年

大聖人様(だいしょうにんさま)一行(いっこう)安房(あわ)(くに)(かえ)ってきたことを()った東条景信(とうじょうかげのぶ)武装(ぶそう)した数百人(すうひゃくにん)兵隊(へいたい)(あつ)めて大聖人様(だいしょうにんさま)一行(いっこう)襲撃(しゅうげき)して()たのです。

突然(とつぜん)襲撃(しゅうげき)弟子(でし)たちも応戦(おうせん)したのですが、大聖人様(だいしょうにんさま)(みぎ)(ひたい)()られ左腕(ひだりうで)()られました。そして弟子(でし)鏡忍房(きょうにんぼう)()(ころ)され大聖人様(だいしょうにんさま)は心(こころ)(いた)成仏(じょうぶつ)(ねが)いました。

信徒(しんと)工藤吉隆(くどうよしたか)もひん()重傷(じゅうしょう)()けました。その怪我(けが)がもとで、まもなく()くなってしまいました。

この襲撃(しゅうげき)(うら)には良観(りょうかん)たちの他宗(たしゅう)僧侶(そうりょ)たちの後押(あとお)しと陰謀(いんぼう)があったのでした。そして重時(しげとき)(とき)とおなじように景信(かげのぶ)襲撃(しゅうげき)三日後(みっかご)原因不明(げんいんふめい)発作(はっさ)()こし(くる)しみ()いたあげく()くなっていきました。

この(とき)をけいきに師匠(ししょう)道善房(どうぜんぼう)法華経(ほけきょう)帰依(きえ)大聖人様(だいしょうにんさま)仏門(ぶつもん)一員(いちいん)となられました。