大聖人直結論の誤り

妙光寺通信(平成16年7月4日)

創価学会では日蓮大聖人から二祖日興上人への血脈の相伝書を無視して、
「法主にだけ流れる血脈などはない」
「信心さえあれば誰にでも血脈が流れる」
「創価学会の信心にこそ血脈が流れている」などと主張しています。

しかしこの主張は明らかに日蓮大聖人並びに日興上人の御教示に敵対する大邪説と言わなければなりません。

日蓮大聖人は、
「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり。就中我が門弟等此の状を守るべきなり。弘安五年壬午九月 日  日蓮 花押血脈の次第 日蓮日興」(御書一六七五頁)と、明らかに日興上人へ「一期の弘法」たる三大秘法の付嘱をされ、「我が門弟等此の状を守るべきなり。」と念記なされています。

創価学会の先の主張は明らかに大聖人、日興上人の「血脈の次第」をなきものにするものであり、日蓮大聖人の御意に背いています。

日蓮大聖人はまた『身延山付嘱書』には今日の創価学会員のように血脈相承を信受できない者に対して、「背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり。」とまで断言せられています。

池田創価学会の血脈否定の邪説、並びにあろうことか自分達にこそ日蓮大聖人より直接の信心の血脈が流れているとする謬説は、まったく増上慢の極みと言わざるを得ないのです。

日興上人はさらに、日蓮大聖人の直結の弟子と名乗る謗法について、
「末の弟子どもが、誰は聖人の直の御弟子と申す輩多く候。これらの人謗法にて候なり。」
(歴全一ー一八四頁)と厳しく諫められています。

今日の創価学会に身を置くと、こんな妄説に染まってしまうのです。