『安直な勤行の改変』を恥じよ

妙光寺通信(平成16年10月3日)

このたび創価学会では毎日の勤行の作法を、方便品と自我偈の読誦と唱題という安直な方式に改めて、去る平成十六年九月十日付の聖教新聞に発表致しました。

方便品と自我偈の読誦方式はすでにSGI会員に対して、昨年から指導実施されてきたようです。日本の創価学会員もいよいよ安直な、手抜き勤行を公言するに至りました。初座の東天を拝しての勤行も、両品の読誦を省略して題目の三唱となり、怠け者の理屈に基づいた勤行樣式となっています。

およそ仏教の根幹として大事な事は、信仰の対象として三宝を立て、篤く三宝を敬う事が信仰の中心でなければなりません。ところが今回の創価学会制定の祈念樣式では日蓮大聖人の仏法、法宝、僧宝の法義があいまいで、はっきりと明確に立てられていません。

また本門戒壇の大御本尊は日蓮正宗の総本山に厳護されているので、三宝の功徳は日蓮正宗の信徒として総本山に列なる信仰を貫く人の身の上に顕現されるのであり、日蓮正宗の信仰を失い、総本山より離れ、御歴代上人の血脈の相伝を誹謗する集団に三宝の功徳が現れるはずもありません。

こうして創価学会はニセ本尊を造立し、他宗の謗法と交わって祭りに参加し、勤行の樣式を安直化して堕落し、自ら謗法の色を益々濃くして集団で三悪道に堕ちていくのです。