創価学会の懈怠勤行について

妙光寺通信(平成18年10月1日)

創価学会では平成十六年九月十日の聖教新聞において、「方便品・自我偈の読誦と唱題による勤行と御祈念文」なる勤行次第を発表し、今後は方便品、自我偈の読誦と、唱題という毎日の勤行樣式に改変すると、宣言致しました。

これは謗法集団のさらなる謗法化の現象と言えましょう。内部から崩れ行く創価学会の懈怠謗法の一つに数え上げることが出来る。

もとよりニセ本尊を安置して、どんな勤行をしようとも本門の三大秘法の意義は整足せず、功徳の顕われようはずもないのである。

第一に創価学会の日蓮大聖人への御觀念において、下種の御本仏としての何よりも大切な「主師親三徳」の意義が失われている。
第二に日興上人への御觀念において「血脈の法水写瓶」の大事が失われている。
第三に日目上人への御觀念において「一閻浮提の御座主」の意義が欠落している。
第四に大聖人の御遺命たる一天四海広宣流布の大目的が単なる最後の「世界の平和と一切衆生の幸福のため」の一文に変質している。

読誦する勤行次第も、制定された御祈念文も安直にして、しかも余程の勤行ぎらいな指導者達が決議したものと思われる。創価学会、SGIも落ちたものである。