崇峻天皇御書

令和四年十二月度 御報恩御講拝読御書

崇峻天皇御書すしゅんてんのうごしょ 御書一一七三ページ一〇行目~一四行目
(建治三年九月十一日 五十六歳)

人身にんしんけがたし、つめうえつち人身にんしんたもちがたし、くさうえつゆ百二十ひゃくにじゅうまでたもちてくたしてせんよりは、きて一日いちにちなりともをあげんことこそ大切たいせつなれ。中務三郎左衛門尉なかつかささぶろうさえもんのじょうしゅおんためにも、仏法ぶっぽうおんためにも、世間せけんこころねもかりけりよかりけりと、鎌倉かまくら人々ひとびとくちにうたはれたまへ。穴賢あなかしこ穴賢あなかしこくらたからよりもたからすぐれたり。たからよりこころたから第一だいいちなり。御文ごもん御覧ごらんあらんよりはこころたからをつませたま(たま)ふべし。

通釈

人間として生まれてくることは難しく、それは爪の上に載るわずかな土のように稀である。(人間に生まれても)寿命を持つのは難しく、草の上の露のようにはかないものである。たとえ百二十歳まで長生きしても、名を汚(けが)して死ぬよりは、生きて一日でも名を挙げることこそ大切である。中務三郎左衛門尉は主君のためにも、仏法のためにも、世間のことに対する心掛けも、非常に立派であった、立派であったと、鎌倉の人々に称賛されるようになりなさい。穴賢穴賢。蔵の財よりも身の財がすぐれており、身の財よりも心の財が第一である。この手紙を御覧になられてからは、心の財を積んでいきなさい。

主な語句の解説

  • 爪の上の土

十方の土に対して爪の上の土が極めて少ないことを、人身が受け難いことに譬え、また正法に値い難いことにも譬えられている。『大般涅槃経』(大正一二―五六三A)等に説かれる。

  • 百二十まで持ちて

天台大師は『金光明経文句』(大正三九―五四C)に、人寿百二十歳は釈尊当時の上寿(寿命を三段に分けるとき最も上の段階)に約し、中寿を八十歳、下寿を四十歳と説いている。

  • 中務三郎左衛門尉

四条金吾頼基(よりもと)のこと。「中務」とは頼基の父・頼員(よりかず)の職名。「三郎」は幼名。「左衛門尉」は頼基自身の官職名を指す。なお、この左衛門尉の職名を唐で金吾と称することから、四条金吾と呼ばれていた。

  • 穴賢

「あなかしこ」と読む。恐れ多い、もったいないとの意や、手紙の結び語に用いたりする。ここでは言動に注意するよう促されている。