教行証御書

令和五年六月度 御報恩御講拝読御書

教行証御書きょうぎょうしょうごしょ 御書一一〇三ページ一三行目~一一〇四ページ三行目
(建治三年三月二十一日 五十六歳)

今いま末法まっぽうに入いっては教きょうのみ有あって行証ぎょうしょう無なく在世ざいせ結縁けちえんの者もの一人いちにんも無なし。権実ごんじつの二機にき悉ことごとく失うせり。此この時ときは濁悪じょくあくたる当世とうせいの逆謗ぎゃくぼうの二人ににんに、初はじめて本門ほんもんの肝心かんじん寿量品じゅりょうほんの南無妙法蓮華経を以もって下種げしゅと為なす。「是この好よき良薬ろうやくを今いま留とどめて此ここに在おく。汝なんじ取とって服ふくすべし。差いえじと憂うれふること勿なかれ」とは是これなり。

通釈

今、末法の時代に入ってからは(釈尊の)教法のみがあって修行と証果はなく、釈尊在世に結縁の者は一人もいない。権教や実教で成仏する二つの機類は悉くいなくなった。この(末法の)時は濁悪である当世の五逆罪と謗法の二人に、初めて本門の肝心である寿量品の南無妙法蓮華経をもって下種するのである。(法華経に)「是の好き良薬を、今留めて此に在く。汝取って服すべし。差えじと憂うること勿れ」とあるのは、このことである。

主な語句の解説

  • 教行証

教は仏の説いた教法、行は教法によって立てられた修行法、証は教行によって得られる仏果・利益をいう。

  • 権実の二機

権教によって利益を得る機根と、実教によって利益を得る機根の二種類のこと。

  • 逆謗の二人

逆とは五逆罪(殺父・殺母・殺阿羅漢・出仏身血・破和合僧)、謗とは誹謗正法のこと。ここでは末法の衆生を指す。

  • 下種

衆生の心田に成仏の種を植えること。

  • 是の好き~憂ふること勿れ

法華経如来寿量品第十六の文(法華経四三七)。良医病子の譬えの一文で、良医が、毒を服し本心を失った子のために留め置いた良薬を服すようにすすめ、病が癒えないなどと疑わないよう誡めた言葉。