撰時抄

令和四年十月度 御報恩御講拝読御書

撰時抄せんじしょう 御書八六八ページ二行目~五行目
(建治元年六月十日 五十四歳)

一渧いっていあつまりて大海だいかいとなる。微塵みじんつもりて須弥山しゅみせんとなれり。日蓮が法華経ほけきょうしんはじめしは日本国にほんごくには一渧いってい一微塵いちみじんのごとし。法華経ほけきょう二人ににん三人さんにん十人じゅうにん百千万億人ひゃくせんまんのくにんとなつたうるほどならば、妙覚みょうがく須弥山しゅみせんともなり、大涅槃だいねはん大海だいかいともなるべし。ほとけになるみちこれよりほかにまたもとむることなかれ。

通釈

一滴の水が集まって大海となる。塵が積もって須弥山となったのである。日蓮が法華経を信じ始めたことは、日本国から見れば一滴のしずく、一粒の塵のようなものである。法華経を二人、三人、十人、百千万億人と唱え伝えていくならば、妙覚の須弥山となり、大涅槃の大海ともなる。成仏への道はこれよりほかに求めてはならない。

主な語句の解説

  • 須弥山

古代インドの世界観で説かれる、世界の中心にある最も高い山のこと。中腹の四方には四天王が住み、頂上には帝釈天の宮殿があり、須弥山全体に三十三天が住むとされる。

  • 妙覚の須弥山

妙覚とは、苦悩から解き放たれた悟りの境地。成仏の位をいう。ここでは悟りの位の高さを、最高の山に譬えたもの。

  • 大涅槃の大海

涅槃とは、修行によって悟りを得た境地をいう。迷い苦しみを起こす煩悩の火を消して、悟りの智慧を成就したことを表している。ここでは悟りの境地を広く深い大海に譬えたもの。