敬台院殿のこと

妙光寺通信(平成17年7月3日)

日蓮正宗の七百五十年の歴史の中で、江戸時代前期に敬台院きょうだいいんという大外護者がおられました。現在にも総本山に残っている御影堂を寛永九年(一六三二年)に再建寄進された大施主です。

敬台院の出生は徳川の初期、文禄元年に小笠原秀政の長女として下総の古河、現在の埼玉県古河城主のもとで生まれました。母は徳川家康の長子岡崎信康の娘で敬台院は幼名を「万姫」「お虎」と称し、やがて徳川家康の養女となって、伏見城に移り、後に縁あって阿波徳島第三代藩主蜂須賀至鎮よししげのもとに嫁つぎました。

此の蜂須賀家への入輿の頃より総本山十七世日精上人に帰依され、宗門に多大な貢献を続けられました。

すなわち

・寛永九年(一六三二年)に大石寺御影堂の寄進
・寛永十四年(一六三七年)の大石寺朱印状下附の実現と日精上人の公儀年賀に乗輿の免許
・寛永十五年(一六三八年)の大石寺基金七百両の寄進
・寛永十九年(一六四二年)上総細草檀林の支援
・正保二年(一六四五年)江戸法詔寺を阿波徳島に移して敬台寺を創立

するなどの大事業に力を発揮されました。その功績は今にさん然と輝いています。

徳川家康のひ孫に当たる徳島藩の藩主夫人が日蓮正宗の信徒であった事を多くの方々に知って頂きたいと存じます。