唱法華題目抄

令和六年二月度 御報恩御講拝読御書

唱法華題目抄しょうほっけだいもくしょう 御書二三一ページ九行目~一一行目
(文応元年五月二十八日 三十九歳)

末代まつだいにはぜんものおおぜんものすくなし。ゆえ悪道あくどうせんことうたがし。おなじくは法華経ほけきょうひてかせて毒鼓どっくえんすべきか。しかれば法華経ほけきょういて謗縁ぼうえんむすぶべき時節じせつなることあらそものをや。

通釈

末法には善(妙法の下種)を受けていない者が多く、善を受けた者は少ない。故に(ほとんどの者が)悪道に堕ちることは疑いない。同じく(悪道に)堕ちるなら法華経を強いて説き聞かせて毒鼓の縁を結ばせるべきである。されば(末法の今の時は)法華経を強いて説き、謗らせて縁を結ばせる時節であることは、争う余地はないのである。

主な語句の解説

道理に適った善いこと。ここでは、久遠元初本因下種の妙法という根本の仏乗種を指す。

  • 毒鼓の縁

毒鼓とは毒を塗った太鼓のこと。その音を耳にしただけで死に至るという、涅槃経(大正蔵一二―四一〇)の譬喩。強いて法華経を説くとき、聞信しようとしない衆生は正法を謗ることになるが、そのことでかえって正法との縁を結ぶこと。

  • 謗縁

正法を誹謗することによって法縁を結ぶこと。