11.立正安国論

1260年/39歳/文応元年

ひとびとのくるしみがすなかで大聖人様だいしょうにんさま三十九歳さんじゅうきゅうさいのとき、ひとつの結論けつろんをだしました。

鎌倉幕府かまくらばくふ間違まちがった仏教観ぶっきょうかんあやまったおしえをまもっているところ三災七難さんさいしちなんこる」ととき執権しっけんに「いますぐ日蓮にちれん妙法蓮華経みょうほうれんげきょう帰依きえしないかぎり三災七難さんさいしちなんからまぬがれる方法ほうほうい」と「立正安国論りっしょうあんこくろん」をもっ直訴じきそしたのです。

もしも日蓮にちれん言葉ことばもちいずこのままであれば「自界叛逆じかいほんぎゃくなん」とって一族いちぞく同士討どうしうちがはじまる。そしてつぎには「他国侵遍たこくしんぴつなん」とってほかくにからせめられるとおそろしい予言よげんをしたのです。

その内容ないよう激怒げきどした他宗たしゅう坊主ぼうずたちは誹謗中傷ひぼうちゅうしょうだと大聖人様だいしょうにんさまものにしようと計略けいりゃくをたてはじめていたのでした。