12.松葉ヶ谷の法難

1260年/39歳/文応元年

妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)改宗(かいしゅう)することを物凄(ものすご)気迫(きはく)(せま)っていた大聖人様(だいしょうにんさま)存在(そんざい)(おそ)れ、いよいよ抹殺(まっさつ)してしまおうと極楽寺(ごくらくじ)重時(しげとき)道隆(みちたか)良観(りょうかん)たちが結託(けったく)してあつまりました。

そして(おお)くの兵士(へいし)たちが夜半過(やはんす)ぎに(あつ)まり、松葉ヶ谷(まつばがやつ)草庵(そうあん)(はい)大聖人様(だいしょうにんさま)()(もの)にしようと夜襲(やしゅう)決行(けっこう)をしたのです。

しかし(さいわ)弟子(でし)たちのすみやかなはからいと、()(くら)なやみ()(すく)われて無事(ぶじ)脱出(だしゅつ)することができました。「立正安国論(りっしょうあんこくろん)」を(もっ)国主諌暁(こくしゅかんぎょう)をしてからわずか四十二日(よんじゅうににち)()ぎての事件(じけん)でした。

また後々(のちのち)(ひと)たちの(はなし)によると大聖人様(だいしょうにんさま)(まえ)(しろ)(さる)(あらわ)大聖人様(だいしょうにんさま)()()安全(あんぜん)場所(ばしょ)まで案内(あんない)したと()(はな)しが(のこ)っています。しかしそれを証明(しょうめい)する仏典(ぶってん)(なに)(のこ)っていませんが、法華経(ほけきょう)(たも)(もの)(かなら)諸天善神(しょてんぜんじん)(まも)るという法門(ほうもん)から逸話(いつわ)としての(はな)しが(ひろ)まったのかも()れません。