公明党の政界進出
妙光寺通信(平成19年4月1日)
今日公明党は、自由民主党と連立内閣を組み政権を握り、与党第二の政党として、その政治力を悪用して、日蓮正宗の弘教を妨害したり、また公明党並びに創価学会の野望に向かって力を発揮しようとしています。
もともと創価学会の政界進出については、第二代戸田会長は、「私の力がある限りは、断じて政党などはやらない」それが、戸田会長の考えでありました。
ところが戸田会長の亡き後、昭和三十年になって創価学会がまず、地方議会に進出しました。次いで昭和三十一年七月に行われた参議院の通常選挙で王仏冥合を掲げて六名の候補者を立て、三名の当選を見ました。
それ以後、今日に至るまで公明党の母体となった公明政治連盟の結成、これは昭和三十六年十一月、そして昭和三十九年には公明党を結成して、参議院のみならず衆議院の進出を決定致しました。池田による池田のための池田の政党としての衆議院への進出でありました。
公明党結成時の竹入委員長の就任演説の中にはっきりと、公明党が力をつけた時には、政権をとった暁には、池田先生に要請して池田内閣を作るということを、その発足の日に発表しております。それが公明党の政治進出の目的であり、意志でもあり、そしてまた目標でもあるわけであります。どんなに立派なことを言っても、結成時の言動こそ本音を現していると言うべき事であります。