6.諸国遊学の旅・鎌倉・比叡山で学ぶ

1239年18歳/延応元年

大聖人様(だいしょうにんさま)が十八(さい)になったころ、出家(しゅっけ)した(とき)いらいの(ゆめ)だった諸国遊学(しょこくゆうがく)(たび)師匠(ししょう)道善房(どうぜんぼう)から(ゆる)されました。

(おお)くの仏典書物(ぶってんしょもつ)(もと)めて鎌倉(かまくら)比叡山(ひえいざん)京都(きょうと)など釈尊(しゃくそん)があらわした仏法(ぶっぽう)真髄(しんずい)()るために全国各地(ぜんこくかくち)(まわ)り十三(ねん)歳月(さいげつ)をかけて勉強(べんきょう)しました。

往生成仏(おうじょうじょうぶつ)ができると、熱心(ねっしん)念仏(ねんぶつ)(とな)えながら()くなって()った(ひと)たちが、(くる)しみの様相(ようそう)をあらわにして()くなっていくそんな姿(すがた)をみて成仏(じょうぶつ)をしているとはとても(おも)えませんでした。

大聖人様(だいしょうにんさま)比叡山(ひえいざん)にもどり、またすべての勉強(べんきょう)をいちから何度(なんど)もやり(なお)して修学(しゅうがく)のおさらいをしました。そして法華経(ほけきょう)肝心(かんじん)である南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)こそが民衆(みんしゅう)(すく)っていけるただ一つの(おし)えだと(さと)りました。

また、その(おし)えを(つらぬ)くためには一生涯迫害(いっしょうがいはくがい)苦難(くなん)連続(れんぞく)(みち)()()けていることも、法華経(ほけきょう)(とう)して大確信(だいかくしん)をしていました。それは同時(どうじ)(ほとけ)としての()(ふる)()いの確認(かくにん)覚悟(かくご)決断(けつだん)でもありました。