1253年32歳/建長五年
「立宗宣言」をされた足で清澄寺に戻り、師匠の道善房や兄弟子たちをはじめ廻りにいた人たちの前で、念仏宗・禅宗の間違った教えを厳しく追及しました。
「西方十万億土という架空の浄土を説き念仏を唱えて死んだ後に往生成仏が出来るなどと民衆を惑わす信仰は邪道である。成仏は、この世の中にあるものだ!」
と今までの教えを完全に否定をし、幸せは生きている現実に求めるものだと教えました。そして「南無妙法蓮華経」の法華経の信仰につくことが、唯一自分の命を磨き幸せになる道だと解きました。
しかし総ての人たちは念仏や禅の教えを信じきっているので、たちまち大聖人様の言葉に驚き、怒り、敵対するようになりました。
師匠の道善房も地頭たちの権力を恐れて、ただ押し黙るしかありませんでした。そして安房の国の地頭・東条景信が烈火のごとく怒り、大聖人様に危害を加えようとしましたが、兄弟子たちのお陰で無事に難を逃れることができました。
自らの身の危険を知りながら、その足で両親の所に行きました。長い遊学からもどったあいさつと「法華経こそ第一の教えだ」と帰依することを勧めました。お父さんもお母さんも立派になった姿をみて喜び、大聖人様を信じ入信をされました。