9.鎌倉へ弘教

1253年/32歳/建長五年

大聖人様(だいしょうにんさま)鎌倉(かまくら)松葉ケ谷(まつばがやつ)草庵(そうあん)()てられました。そこを拠点(きょてん)にして南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)信仰(しんこう)(ひろ)めはじめました。

しかし一部(いちぶ)権力者(けんりょくしゃ)熱心(ねっしん)他宗教(たしゅうきょう)信徒(しんと)たちは「(わたし)たちが(しん)じている信仰(しんこう)悪口(わるくち)()いふらすような坊主(ぼうず)(ゆる)せない」と()って、敵対(てきたい)する(ひと)たちも()えてきました。

路地(ろじ)(つじ)説法(せっぽう)する大聖人様(だいしょうにんさま)(いし)をながつけたり(ぼう)でたたきつけたり暴言(ぼうげん)をはきながら(いや)がらせを()(かえ)されていました。そして、()宗派(しゅうは)(ひと)たちと公開説法(こうかいせっぽう)をしても大聖人様(だいしょうにんさま)()てる人(ひと)()く、一層(いっそう)(ねた)まれて()きました。

大聖人様(だいしょうにんさま)は「法華経(ほけきょう)(ひろ)める(ひと)はいろいろな苦難(くなん)がおこる」と()っていたので、(なに)(おそ)れることなくその(ひと)たちにも慈悲深(じひぶかい)眼差(まなざ)しで不幸(ふこう)(とり)(のぞ)いて()げたいと、ひたすら(ただ)しい法華経(ほけきょう)について()いて(まわ)りました。

しかし、そんな(つら)(くる)しい状況(じょうきょう)(なか)にあっても、しだいに草庵(そうあん)(おとず)大聖人様(だいしょうにんさま)(おし)えを(しん)じて帰依(きえ)する信徒(しんと)(ひと)たちも()えて()きました。