建長5年4月28日正午、清澄寺に於て広宣流布への第一歩を記す初転法輪(仏の最初の御説法)を行う。禅・浄土宗をはじめ各宗派は誤った教えであり、妙法蓮華経こそが唯一無二の教法であると説かれたのである。これを聞いた参集の人々は […]
時に建長5年(1253年)4月28日、大聖人御年32歳。清澄山、嵩が森かさがもりの頂から、登り来る太陽を始めとする宇宙法界に向かって、「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と唱えられ立宗の大宣言をなされた。こ […]
蓮長は出家以来の宿願を果たすため一段と深い研鑽の志をいだき、鎌倉をはじめ諸国遊学の旅にたたれた。1242年以降10年以上にわたって更に多くの典籍を閲読して仏法を究めるため、当時の日本仏教の中心であった比叡山延暦寺を始め、 […]
12歳で清澄寺に登った善日麿ぜんにちまろは大志を抱いて修学の年月を送り英知に輝くたくましい青年に成長された。そして民衆の救済と一国の平和をもたらすため、僧侶となり仏法の真髄を究めようと、得度を決意された。1237年、16 […]
大聖人は貞応じょうおう元年1222年2月16日正午、貴名次郎重忠を父、梅菊女うめぎくにょを母として、日本安房国小湊こみなとに誕生された。誕生の時には、地から清水が涌きでて青蓮華が開いたという。幼名を善日麿ぜんにちまろと名 […]