御書
経王殿御返事

令和四年一月度 御報恩御講拝読御書

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御一代記
22.南条殿身延山へ種々の御供養

大聖人が身延に入られて間もなく、南条時光殿は種々の御供養の品を大聖人のもとへお届けするべく、険しい道のりをものともせず身延へと向かわれた。 [<< 前] [一覧] [次 >>]

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御一代記
21.身延御閑居

第三の国諌も幕府の用いるところとならなかった。平左衛門尉頼鋼と対面されて約一月後の五月十二日大聖人は鎌倉を離れ、日興上人の御案内によって、甲州(今の山梨県)波木井の郷身延山に隠棲された。 [<< 前] [一覧 […]

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御一代記
20.第三国諌

文永十一年(1274年)4月8臼、二年半ぶりに佐渡より鎌倉に帰られた大聖人は、平左衛門尉頼綱以下の幕府最高首脳陣と対面され、部法を捨て正法に帰するよう厳しく仰せられた。これが大聖人の第三番目の国家諌曉である。 [< […]

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御一代記
19.日妙聖人

日妙聖人は女人の身として嬰児を背にしながらも、はるか鎌倉より、危険の多い旅を経て、佐渡の大聖人を訪ねた。 大聖人は『日妙聖人御書』の中で、「日本第一の法華経の行者の女人なり」と日妙聖人の信心を褒められた。 [<&l […]

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御一代記
18.塚原問答

当時の佐渡は念仏者の勢力が強く、念仏を破折する大聖人に対する風当たりは凄まじかった。大聖人を謀殺せんとする企てもあったが、法門で決着をつけることになった。文永九年(1272年)一月十六日と翌十七日の両日、念仏者の罵声の中 […]

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御一代記
17.佐渡塚原三昧堂

(文永八年十月十日、(1271年)大聖人は依智の本間邸から佐渡へ出発し、同二十八日に佐渡へ着岸、翌月一日に配所の塚原に到着された。)塚原の三昧堂は、墓地の中にある荒れ果てた小さな堂であった。厳寒の地、佐渡において、大聖人 […]

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御一代記
16.星降之梅

依智本間邸に着かれた大聖人は月に向かって諌曉された。すると、不思議にも月明かりの夜空から、大きな明星が降り下り、庭の梅の木に掛かった。警固の武士達は皆大いに驚き、縁にいた者は飛び降り、ある者は庭に伏し、ある者は家のうしろ […]

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御一代記
15.龍の口

処刑場に着かれた大聖人は、悠然と題目を唱えられ、首の座のつかれた。兵士達は大聖人を取り囲み、その中の1人が首を斬ろうと太刀を振りかざした。その時、突如巨大な光物が現れ、兵士の刀は折れて、その場に倒れ伏してしまい、処刑を行 […]

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御一代記
14.社頭諌曉

兵士達が、厳しく警備する中、龍の口の刑場に向かわれた。途中、大聖人は鶴ケ岡八幡宮にて馬より降りられ、八幡大菩薩等の諸天善神に諌曉された。 [<< 前] [一覧] [次 >>]

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